2017年09月12日

下北沢X物語(3359)―日本偽汽車紀行:山北、線守稲荷―

DSCN0094(一)鉄道近代は天下の険を越えることで叶った、それには二つの難関があった。一つには険しい勾配を越えること、もう一つは狐狸との闘いがあった。前者は、「汽車ぽっぽ」で歌われる。「機関車と機関車が 前引き 後押し なんだ坂 こんな坂 なんだ坂 こんな坂」と。本務機と補機とで列車を押し上げて箱根峠を通行させた。後者は、一匹の古狐ととの闘いがあって、これを打ちのめした。村人と鉄道関係者はその狐を弔うために線守稲荷大明神を建て、末永く鉄道の安全を祈った。偽汽車のはしりある。これが今なお箱根峠のとば口に祀られていて存在する。

 この線守稲荷の最寄り駅は御殿場線の山北駅だ。この線の前身は大幹線の東海道線である。その時の要衝駅だ、ここから箱根越えの難所に挑む、そのための支援基地だ、扇形の機関庫があり、転車台があった。構内には無数の側線があって無数の蒸気機関車がひしめいていた。機関車が吐き出す煙で「山北の雀は真っ黒だ」と言われたほどだ。

 何年か前に取材に来たことがある。今度も駅脇にある鉄道公園に行った。ここにはD5270が展示してある。かつてこの機関車は御殿場線を走っていた。前にここに来たときに瀬戸志津夫さんに出会った。
「うちの親父はこのD52に乗っていたんですよ。そのときの苦労話はよくしてくれたものです。ほら、この山北から御殿場までは急勾配がずっと続くでしょう。カマ焚きをやっていましたけど仕事はきついのですよ。出発のときはカマに目一杯石炭をくべるわけです。ところが連続して隧道が続くわけです。ここから七つも続くのですよ。隧道ではいぶされるのですよね、炎熱地獄に煙り地獄、荷が重かったりすると速度が出ないのです。すると煙にまかれるのですね。濡れタオルに水を含ませたものを口に当ててひどいときは這いつくばっていたといいます。あんまり煙が濃くなると汽車が進んでいるのか、停まっているのか分からなくなるらしいのです。そんなときは外に手を伸ばして隧道の壁に手を押し当てたといいますね」
 箱根越は大変であった。トンネルが幾つも続くのは当地が険しかったことを明かすものだ。この箱根山中で偽汽車が出現した。これは開業当初の話だ。

 東海道本線は明治二十二年に全通した。東京と大阪とがこれによって結ばれ、飛躍的に便利になった。しかし、多くの苦難があった。急勾配を上るときに鉄道乗務員は常に逸走の危険にさらされた。

 今回山北に行くと、駅前のふるさと交流センターに「山北鉄道資料館」がオープンしていた。係員がいて説明にあたっていた。
「ほら、この地図には奇妙な側線が描かれているでしょう?なんだかわかりますか」
 山から下ってきた線路の一本が右手の山に食い込むように敷かれていた。
「暴走してきた列車を導く側線でしょう!」
「そうそう、そのとおり。だけどねこれは一度も使われなかったというんだ」



DSCN0097
(二)
 山北は地形が峻険なところだ、深い谷になっていて底には酒匂川が流れている。また、沢の上には東名高速が走っている。そしてその下は国道246号だ。

 峻険故に道が集まってくる。これが東京と結ばれている。インフラである。道路標識に「矢倉沢」という文字を見つけた。これは大山街道のことである、東海道の脇往還である。矢倉沢は、山北のすぐ近くだ。

 この酒匂川も我等地域、荏原とも関連が深い。世田谷区野沢には変電所がある。ここへはこの酒匂川の水力を利用して駿河小山にあった富士紡績が発電をし、送電をした。この電気を活用したのが玉川電気鉄道だ。「1913年10月に富士瓦斯紡績からの受電を開始して電気供給事業を本格化させ」てゆく。

 荏原のインフラは富士・箱根に繋がっていくものだ。やはり大事なことは、その現場に直接いったのでは分からない。今回は、山北駅で降りて線守稲荷へは遠回りをしていった。具合よく駅前の案内所で「川村城址・洒水の滝コース」という道案内図を手に入れた。

 河村城は、戦国時代小田原北条氏が武田氏にそなえて整備した城郭の一つだ。箱根前座の山の一つで急峻な地形を活用して城が築かれていた。このコース地形を巡る旅だ、つぎは洒水の滝だ。山北町のホームページにはこうある。

酒匂川の支流、滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は、「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている名瀑です。
 「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すといいます。雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では、「蛇水の滝」と記されています。


 これも地形の一端を表している。この地域に鉄道を敷設するときに、七つもの隧道を掘らねばならなかったのはそのためだ。

(三)
 明治になって鉄道敷設工事が進んだ、それまでは山と里には境界線があった。自然世界と人間世界とが分けられていた。が、近代はこの境を越えねばならなかった。このときに狐狸や妖怪などが現れた。これを乗り越えて近代は招来された。



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 地域文化��

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