2019年01月22日
下北沢Ｘ物語(3687)−ふしぎ町高輪を歩く２−
（一）歩いて実感したことは高輪は文化が凝縮し濃縮している土地ということだ。何と言っても歴史の厚みがある。中心となる道は東西を貫く二本榎木通りだ、典型的な背尾根道である。南面は品川の海が望める第一級の景勝地だ。旧皇族の広大な土地もこちら側だ、一方北面の谷にはぎっしりと墓石で覆われている。この風景も圧巻だ、江戸期から人々が埋葬されてきた。墓は歴史時間を端的に物語る、人は死に、墓が残る、が、丹念に見て廻ると崖地の礎石は墓石が使われている。墓は無縁仏有縁仏が入り交じっている。墓と寺と大名下屋敷跡、歴史の重層が肌で感じられる。これを貫いているのが道だ。二本榎木通りは東海道の補完道だった。が、この道江戸以前から使われた道だろう。
思い出すのは「更級日記」だ、平安時代中期に書かれたもので上総から京都までの道行きが描かれている。高輪近くの三田を通って行くときの記述だ。
今はむさ しのくにになりぬ。ことにおかしき所 も見えず。はまもすなごしろくなども なく、こひぢのやうにて、むらさきおふときく野も、あしおぎのみたかくおいて、むまにのりてゆみもたるすゑ見えぬま で、たかくおいしげりて、中をわけゆく に、たけしばといふ寺あり。
草ぼうぼうだったようだ。葦や荻が高く生い茂っている細道を行くと竹芝寺があった。三田の済海寺のようである、さらに東進するが今の東海道となるが、賢明な選択は二本榎木通りではなかったか。菅原孝標娘は背尾根を馬に乗ってゆき、海を眺め深い感慨に襲われたのではないかと思いもした。
高輪には至る所に歴史の断片が落ちている。まず、「品川駅創業記念碑」を見て、つぎは「東禅寺」だ。門前には「都旧跡 最初のイギリス公使宿館跡」という碑。館は攘夷派の標的になって度々襲われている。「東禅寺事件」というとの説明がある。
（二）
東禅寺からは坂を登る「ほら坂」だ、それから「桂坂」へ。
「ここは桂坂です、近代の愛の舞台となったところです。男女の恋愛は互いの人格を認めた上で成り立つもの、島崎藤村が描いた『桜の実の熟する時』の冒頭部がこの坂ですね……」と松山さんは説明をし紹介をする。
日陰になった坂に添うて、岸本は停車場手前から高輪へ通う抜け道を上っていった。客を載せた一台の車が坂の下の方から同じように上ってくる気勢がした……迫った岡はその辺りで谷間のような地勢をなして、更に勾配の急な傾斜の方へ続いて行っている。丁度他に往来の人も見えなかった。彼は古い桑の木なぞの手入れもされずに立っている路の片側を択って歩いた。
主人公の岸本捨吉は品川駅か高輪に通じる道を歩いていた。背後から人力車が上ってくる。「気勢がした」に含みがある。しかとは分からないが人を乗せた車が上ってくる、捨吉は気配で分かったようだ。それには繁子という女性が乗っている。彼は車を遠ざけるよに早足で歩いた、「岡の上に捨吉が出た頃は最早繁子の車は見えなかった」と。この繁子こそが、「旧い日本の習慣に無い青年男女の交際」を教えてくれた五歳年上の女性だ。松山さんが言った近代の愛は、基督教的価値観に基づいたものだ。この二人が出会ったのは明治学院大のチャペルだった。
「近代の愛」、あまり考えてもいなかった。こちらには日本の青年における恋愛観は欠けている。第三者的視点をもたない恋愛観は日本的な特質ではないかと思った。言ってみれば動物的な恋愛観に近いものではなかったか。男女格差が今でも埋まらない、その根本には閉鎖的な日本社会にあるのではないかとも思った。
藤村の「桜の実の熟する時」は、三田用水の一つの流れ玉名川が描かれているというので調べたことがある。冒頭で出てくる坂の描写は自分でも関心を持った。駅前から真北に上る石榴坂ではないかと思っていたが、松山さんは石榴坂の可能性はないわけではないが彼は桂坂ではないかと言っていた。
（三）
「ふしぎ町高輪」は不思議だった。それは単純に景物に出会って感じるものだけではなかった。それは思想や芸術のかけらに出会ってのことだ。地理的な位置も大事だと思った。
高輪は諸藩の下屋敷、別荘が置かれたところだ、江戸市中では息苦しい、都鄙境の高輪だと海が見えて気晴らしになる。距離を置いて江戸を眺める場だった。
文学や芸術は、中心からどう距離をおくかということはある。途中立ち寄った、承教寺には英一蝶の墓があった。画家で芸人だ、彼は三宅島に流されたこともある。面白いのは彼は「北窓翁」と島では呼ばれていた。彼は江戸の方角へ机を向け、創作活動をしていたようだ。江戸から離れると江戸を恋したい、江戸にいると距離を置きたくなる。芸術文化の距離だ。
（四）
松山さん、今回の町歩き、私的な町歩きと言ったが独自性があった。町歩きもまた私的な物語だと言える。
（写真上、高輪の谷、中、東禅寺門前、下、英一蝶の眠る承教寺）
この記事へのコメント
1. Posted by きむらたかし＠三田用水 2019年01月23日 09:17
〔桜の実の熟する時〕
明治学院の校歌は、明治40年に藤村が作詞しているのですね。
https://www.meijigakuin.ac.jp/about/history/milestone.html
現柘榴坂の原型「おしゃもじ横町」
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/06/post-9eaf.html
は、明治初期は「右に曲がり、左に曲がり」してましたが、その後なぜか一時消滅。
明治の終わりに、今の台地上に直登する道ができています。
そのころ、桂坂には、まだ近世からの「右に曲がり、左に曲がり」が残ってます。
また、「品川の停車場手前」というのは、往時は「東京市街からみて手前」でしょうから、その点でも、藤村の描写に整合しているようです。
明治学院の校歌は、明治40年に藤村が作詞しているのですね。
https://www.meijigakuin.ac.jp/about/history/milestone.html
現柘榴坂の原型「おしゃもじ横町」
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/06/post-9eaf.html
は、明治初期は「右に曲がり、左に曲がり」してましたが、その後なぜか一時消滅。
明治の終わりに、今の台地上に直登する道ができています。
そのころ、桂坂には、まだ近世からの「右に曲がり、左に曲がり」が残ってます。
また、「品川の停車場手前」というのは、往時は「東京市街からみて手前」でしょうから、その点でも、藤村の描写に整合しているようです。
