2019年01月28日
下北沢Ｘ物語(3691)−中村汀女さんの幻の句碑−
（一）書類の山を整理していたら一枚の書き付けが出て来た。四句の俳句が記されている。「何だろう？」と句を読む。すべてに「桜」が詠まれている。とたんに思い出した。「そうだ中村汀女さんの句だ！」。書いた人は、小川濤美子さん、汀女さんの長女で俳人だ。以前に、中村汀女さんの桜を詠んだ句を北沢川緑道の「桜橋」に建てようという動きがあった。それで濤美子さんに選句して戴いたものだ。あれから時がだいぶ経った。彼女は２０１７年４月２２日に死去した。新聞の訃報、「昭和を代表する女流俳人、中村汀女の長女。汀女主宰の『風花』を昭和６３年から引き継いだ。句集に『富士薊』『和紙明り』、エッセー集に『中村汀女との日々』など。」で知った。「お母さんの句碑を建てます」との約束は果たせないままだ。
我らの会は２００４年１２月に発足した。北沢川沿岸に住む文芸人の文学碑を建てようとのことから発足した。坂口安吾、萩原朔太郎、横光利一、三好達治の四基は建てた。が、中村汀女さんのは実現していない。
発足以来十数年、多くのドラマがあった。文学碑についても同じだ。「北沢川文学の小路物語」という冊子を作り、社会に発信した。これには大きな反響があった。行政の方でもこれを後押しするような動きがあった。ある日忽然と、「全部の文学碑の見積もりを出せ」という話が舞い込んできて衝撃が走った。もうだいぶ前のことなので子細は忘れた。が、見積もりを出してもらった覚えがある。
その一連の文学碑には田村泰次郎、森茉莉、横光利一、加藤楸邨、中村汀女、三好達治、斎藤茂吉などが挙げられていた。碑に刻む文言を選び、書類として出していた。全く当てにもしていなかったゆえに、衝撃的だった。が、それは春の夜の夢、沙汰止みになってしまった。計画通り全部建っていたらとんでもないことになっていたように思う。夢は夢である方がよい、一基建てるだけでも大変な労苦がある。三好達治の詩碑を建てるだけでも大変だった。デザイナーの道吉剛さんと文言のやりとりを何度したか分からないほどだ。Faxが三四十回ぐらいは行き来したように覚えている。句読点の配置、漢字の並べ方についてはデザイナーの美学があった。
（二）
中村汀女さんは、もう三十年前に亡くなられた。しかし和服姿の彼女のことは人々の記憶にあった。
・北口駅前市場の貝を売っているお店ではよくお見かけしました。
・北沢川の桜が咲くと枝に句を記した短冊を掛けておられました。
彼女は昭和十二年に仙台から北沢（現在の代沢５丁目）に越してくる。家の前の鎌倉通りの坂を下れば北沢川だ。花の盛りには川の桜を愛でたという。北沢川の桜と中村汀女は深い因縁がある。それで濤美子さんに桜を詠んだ句をお願いしていた。
北沢に四年住み、ここから現在の代田５丁目に引っ越す。その土地の様子を「明日の花」（冨山房ライブラリー １９６３年）というエッセイに記している。
私鉄交差の、三角州みたいなところの私の家など、夜も白まないうちに、やかましく電車が走る。そしてもう、ふだんの客、人をいっぱい乗せた、重い響きである。門を通る朝のせわしさも、やはりこの方がよい気がしはじめた。
居宅の地理上の捉え方が見事だ、「私鉄交差の、三角州」、北を井の頭線、南を小田急線が走っている。両線は斜めに走って下北沢駅で交差する。地図で見ると鉄道で区切られた三角州である。想像するに布団の中で電車が動き始めたことを知るらしい。響きが家に伝わってきたようだ。彼女の家は代田緑ヶ丘と称していた。下ると佐山一雄さん宅がある。やはり電車の音が響く、こちらは十両編成で人数も多い。かつて砂利電が通っていたときは家がガタガタと地震が来たときのように揺れた。汀女さんところは両線の電車で揺れていたのだろうか？
（三）
「中村汀女俳句集成 全一巻」（東京新聞出版局 昭和４９年）には戦後昭和２１年に詠んだ句が収められている。次のは連なった句だ。
暖かに電車よく来る傾しぎつつ
春月の坂ゆるやかにしたがへる
外にも出よふるるばかりに春の月
戦後になって時代が落ち着いてくる。そういう雰囲気が句に滲み出ている。
一句、井の頭線ではなく小田急線ではないか。丘上の家から満員の乗客でかしいでいるよに見える電車が見えた。春の暖かさと時代のゆるみ。
二句、代田緑ヶ丘の家の近傍にはあちこちに坂がある。丘上に出た月が坂を照らしている。「ゆるやかにしたがへる」見事な収めだ。
三句、羽根木公園にある句碑に刻んである。
戦後になって不足していた食糧が手に入るようになった。彼女はこう続ける「これはそうしたある夜にできた。お隣の家の屋根すれすれに、伸ばせば手に届くところに見つけた大きな春そのものであった」と。粉の調理は下手だったが、「巧いと思ったのは、とうもろこしの粉で作るパン、あのドーナツ型の鍋で焼くのは得意だった」、夕方に彼女は代用の粉でパンを作った、すると膨らみも焼き加減もいい見事なパンが焼けた」、そのときに外に出てみると今焼いたばかりのパンのようにまん丸と太った月がお隣の屋根すれすれに見えたことだ」
さて、濤美子さんから戴いた四句のことはどこへ行ったか？これを記そうか記すまいか迷っているうちにとりあえず記事はできた。
（写真は、ブログの過去映像から引っ張ってきたもの、羽根木公園の汀女さんの句碑の前で）
中村汀女さんは、もう三十年前に亡くなられた。しかし和服姿の彼女のことは人々の記憶にあった。
・北口駅前市場の貝を売っているお店ではよくお見かけしました。
・北沢川の桜が咲くと枝に句を記した短冊を掛けておられました。
彼女は昭和十二年に仙台から北沢（現在の代沢５丁目）に越してくる。家の前の鎌倉通りの坂を下れば北沢川だ。花の盛りには川の桜を愛でたという。北沢川の桜と中村汀女は深い因縁がある。それで濤美子さんに桜を詠んだ句をお願いしていた。
北沢に四年住み、ここから現在の代田５丁目に引っ越す。その土地の様子を「明日の花」（冨山房ライブラリー １９６３年）というエッセイに記している。
私鉄交差の、三角州みたいなところの私の家など、夜も白まないうちに、やかましく電車が走る。そしてもう、ふだんの客、人をいっぱい乗せた、重い響きである。門を通る朝のせわしさも、やはりこの方がよい気がしはじめた。
居宅の地理上の捉え方が見事だ、「私鉄交差の、三角州」、北を井の頭線、南を小田急線が走っている。両線は斜めに走って下北沢駅で交差する。地図で見ると鉄道で区切られた三角州である。想像するに布団の中で電車が動き始めたことを知るらしい。響きが家に伝わってきたようだ。彼女の家は代田緑ヶ丘と称していた。下ると佐山一雄さん宅がある。やはり電車の音が響く、こちらは十両編成で人数も多い。かつて砂利電が通っていたときは家がガタガタと地震が来たときのように揺れた。汀女さんところは両線の電車で揺れていたのだろうか？
（三）
「中村汀女俳句集成 全一巻」（東京新聞出版局 昭和４９年）には戦後昭和２１年に詠んだ句が収められている。次のは連なった句だ。
暖かに電車よく来る傾しぎつつ
春月の坂ゆるやかにしたがへる
外にも出よふるるばかりに春の月
戦後になって時代が落ち着いてくる。そういう雰囲気が句に滲み出ている。
一句、井の頭線ではなく小田急線ではないか。丘上の家から満員の乗客でかしいでいるよに見える電車が見えた。春の暖かさと時代のゆるみ。
二句、代田緑ヶ丘の家の近傍にはあちこちに坂がある。丘上に出た月が坂を照らしている。「ゆるやかにしたがへる」見事な収めだ。
三句、羽根木公園にある句碑に刻んである。
戦後になって不足していた食糧が手に入るようになった。彼女はこう続ける「これはそうしたある夜にできた。お隣の家の屋根すれすれに、伸ばせば手に届くところに見つけた大きな春そのものであった」と。粉の調理は下手だったが、「巧いと思ったのは、とうもろこしの粉で作るパン、あのドーナツ型の鍋で焼くのは得意だった」、夕方に彼女は代用の粉でパンを作った、すると膨らみも焼き加減もいい見事なパンが焼けた」、そのときに外に出てみると今焼いたばかりのパンのようにまん丸と太った月がお隣の屋根すれすれに見えたことだ」
さて、濤美子さんから戴いた四句のことはどこへ行ったか？これを記そうか記すまいか迷っているうちにとりあえず記事はできた。
（写真は、ブログの過去映像から引っ張ってきたもの、羽根木公園の汀女さんの句碑の前で）
