2020年01月17日
下北沢X物語(3925)―吉田 絃二郎の戦争観―

(一)恒例の「戦争経験を聴く会語る会」で海軍第14期飛行予備学生の話を聞いた。学徒動員組の一人は、「アメリカには物量では劣っている、しかし精神力では日本は勝っている、だから戦争には勝つ」と証言していた。戦時下日本は特別な国だという考えがあった。今でこそ、「日本は神国だということなんか信じて居なかったよ」と体験者は言う。が、国家を特別視する風土は今なお残っている、つい最近、副総理が「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。言葉は鏡である、国家の底に潜むものを彼は言葉の鏡に映してみせたのだ。この島国は民族として愛国に染まりやすい気質がある。
吉田弦二郎の『静かなる思惟』は、戦争中の昭和18年1月に新潮社から発行された。言論統制下にあったゆえに検閲があった。それで奥書欄外に「出文協承認」とあり、360225号と番号が付されている。「出文協」は、内閣情報局の下部組織で正式名称を「日本出版文化協会」という、これを省略した言い方である。
出版するには「出文協」の事前検閲がある、これを通らないと紙は支給されない。戦争の真っ只中に発行されたものゆえ、政府のプロパガンダにも利用された。
自序の一節にははこうある。玉川瀬田の自宅で書いたものだろう。
時は神武天皇以来の大きな国難の時代である。竹林を掠めて哨戒の飛行機が飛んで行く。合掌したい気持ちになる。
冒頭章段は、「戦捷の春」に始まり、詩が詠まれている。
今朝、鶯いと静かに鳴けり
春浅く雪なほ残れる木立のほと
不図仰ぎ見る空の青さに
真白き富士かがよふ
祖国、尊きかな日本のすがた
今朝鶯いとおほどかに鳴けり
春なり、春来れり、大御戦、勝ちて勝てる朝
静かなる朝なり、いとその平和なる光たゆたふ朝なり
玉川瀬田の自宅は国分寺崖線のヒルトップにあった。富士がよく望見できるところだ。
(写真)気高い富士、この姿も戦争に利用された。祖国の象徴だ、西下する特攻機の操縦士は黙礼をしたり手を挙げたりしてこの山に別れを告げた。
(二)
『静かなる思惟』の中の「おおいなる春」は、作者の主張のもっとも重要な章段のようである。
わたくしどもはこの二三十年、潮のごとく打ち寄せて来た低調卑属なアメリカ風のジャズや映画や風俗が、いかに若い人々を毒しつつあるかについてひそかに心を傷めてゐました。
わたくしは十数年前「現代の浮薄極まるアメリカからは決してすぐれた文学は生まれない」と説いたことがありました。
日本の神聖な家庭に、彼らの個人主義的な思想が容赦なく取り容れられ、にがにがしい限りでありました。
今こそ日本人は自己の偉大さについて自覚するところがあった筈だと思ひます。
わたくしはかういう意味に於いて米英撃滅の戦ひは大いなる意義を持つてゐると信じています。
戦時下において本を発行することは至難であった。戦争に対して疑問に思ったとしてもそれを記せば本は発行されない。戦意を高揚させるためであれば本は出せた。それで戦争に協力する、その一面は強くあったと思われる。
「日本の神聖な家庭」を吉田は言う、これは伝統的な価値観としてはあったろうと思われる。これを侵すのが米英である、だからこれらは徹底して撃滅しなければならない。
(三)
今引用した文に続いてこうある。
日本人よ日本の真の姿を見よ。日本人よ祖先の言葉を尊び、祖先の考え方、祖先の物の見方を尊べ。祖先の思想を学べ。
この戦ひは精神的な民族と、物質的な民族との戦ひであります。
恥を知る民族と恥を知らぬ民族との戦ひであります。思想と打算の戦ひであります。
激烈なプロパガンダである。「欲しがりません勝つまでは」という戦時標語があったがこれに繋がる考えだ。歯を食いしばって戦え。
先に学徒動員組の証言を紹介した。日本人は精神力において勝っていると。ものはないが、精神力はある、これを高めれば必ずアメリカに勝つ!
精神性を重んじる、これは今なお我が国の風土に生きている。そういう意味で戦時出版物は戦争を学ぶ材料としては大事だ。ナショナリズムに走る危険性はいつでもある。
『静かなる思惟』の中の「おおいなる春」は、作者の主張のもっとも重要な章段のようである。
わたくしどもはこの二三十年、潮のごとく打ち寄せて来た低調卑属なアメリカ風のジャズや映画や風俗が、いかに若い人々を毒しつつあるかについてひそかに心を傷めてゐました。
わたくしは十数年前「現代の浮薄極まるアメリカからは決してすぐれた文学は生まれない」と説いたことがありました。
日本の神聖な家庭に、彼らの個人主義的な思想が容赦なく取り容れられ、にがにがしい限りでありました。
今こそ日本人は自己の偉大さについて自覚するところがあった筈だと思ひます。
わたくしはかういう意味に於いて米英撃滅の戦ひは大いなる意義を持つてゐると信じています。
戦時下において本を発行することは至難であった。戦争に対して疑問に思ったとしてもそれを記せば本は発行されない。戦意を高揚させるためであれば本は出せた。それで戦争に協力する、その一面は強くあったと思われる。
「日本の神聖な家庭」を吉田は言う、これは伝統的な価値観としてはあったろうと思われる。これを侵すのが米英である、だからこれらは徹底して撃滅しなければならない。
(三)
今引用した文に続いてこうある。
日本人よ日本の真の姿を見よ。日本人よ祖先の言葉を尊び、祖先の考え方、祖先の物の見方を尊べ。祖先の思想を学べ。
この戦ひは精神的な民族と、物質的な民族との戦ひであります。
恥を知る民族と恥を知らぬ民族との戦ひであります。思想と打算の戦ひであります。
激烈なプロパガンダである。「欲しがりません勝つまでは」という戦時標語があったがこれに繋がる考えだ。歯を食いしばって戦え。
先に学徒動員組の証言を紹介した。日本人は精神力において勝っていると。ものはないが、精神力はある、これを高めれば必ずアメリカに勝つ!
精神性を重んじる、これは今なお我が国の風土に生きている。そういう意味で戦時出版物は戦争を学ぶ材料としては大事だ。ナショナリズムに走る危険性はいつでもある。



















