2020年05月24日
下北沢Ｘ物語（4010）―テレ伝承：ヒロシマの原爆を語る１―
（一）核兵器ほどむごたらしいものはない。たった一瞬の光閃で無辜の市民数十万人をも焼き滅ぼしてしまう。許されざる悪魔の兵器だ。人間はこれを持つべきではない。が、現実には吾々は米国の核の傘の下に入っている。核を間接的に容認している。唯一核被爆を経験した我々は声を大きくして「核絶対反対」と主張すべきだ。今日、２０２０年５月２４日、第１３回「戦争経験を伝承する会」を下北沢カトリック世田谷教会で開催するはずだった。が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、非常事態宣言が出たことで中止した。テーマは「ヒロシマ原爆を語る」だ。今、スティホームということでテレワークが推奨されている。この手法で「テレ伝承」もできるのではないか？ネットでのこれを開催するものである。
１、なぜこの時期に開くか？
山手空襲を忘れないために開いている。
昭和二十五年五月二十四日、二十五日、このあたり山手一帯は大空襲に襲われる。
・３月１０日の東京大空襲では、飛行機２７９機。爆弾投下トン数は１６６５トン
・山手空襲の場合飛行機の数は１０５６機。爆弾投下トン数は６９００トン
いずれも東京空襲の三倍だった。大きな狙いがあった首都東京を壊滅させる
狙いは達成された。それで東京は爆撃リストからはずされた。
２、自身と広島の関わり
１９９９年末、「広島のチンチン電車の鐘が鳴る」を発刊した。
物語りを書き記すに当たって広島に何度も訪れ、現地を調べた。
私は、戦争当時広島電鉄を支えていた「広島電鉄家政女学校」に深い興味を持って、ここの生徒だった人から取材をした。戦争当時、十四、十五、十六歳だった人も現在となっては高齢化し多くの人が亡くなってしまった。
今、思うと被爆を経験した人の生の声は、迫真力があって生々しく説得力があった。
彼女らの思いをどう伝えるのか？大きな課題である。
３、忘れられない言葉
１９９９年の夏、当時広島電鉄の代表取締役、副社長をされていた石田彰さんから聞いていた。彼は淡々と話をされる、それが却って聞く側の心に迫ってくる。
「原爆のことは、いくら話をしても再現はできないのですよ。あのときのことは、絵にして描き表すこともできない、文章に書き表すこともできない、まして、口で話すこともできない……」
原爆被害はあまりにも悲惨で表現することがほとんど難しい。
当時の証言、記録を読んだ、数多くの資料が遺されている。が、読めば読むほどその凄惨さに言葉を失う。
４、原爆投下の瞬間
原爆は言葉に言い表せない。それでも書かなくてはならないと思った。証言を聞き、資料を調べ、そしてその時を想像しひたすらに書いた。
予定していた今日の「戦争経験を伝承する会」ではピアノの音に合わせて、この場面を女優さんに読んでもらおうと思っていた。（ここでの主人公は浩作少年である）
「ピシュ！」
窓全体が赤黄色に輝いた。
「グドゥドゥドゥドゥ、ドゥーウウン……」
空気がはり裂け、大地が揺れた。そのとたんに浩作は自分の体が宙にふわりと浮き上がったように思った。が、それは一瞬だった。つぎには自分が深い深い穴の底に落下していくのを感じた。
『これでもう死ぬんか……』
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
浩作はだれかのうめき声を聞いたように思った。それで我に返ったのだ。目を開けると、あたりは薄暗い。
「イタイ！、イタイ！、お母ちゃん！」
こんどは、その声がはっきりと聞こえてきた。
『藤川さんじゃ！』
浩作は急に怖くなってきた。なにかとんでもないことが起こったのだ。
『なにが起こったんじゃろうか？』
浩作は首をあげてまわりを見まわした。木ぎれ、コンクリートの破片、椅子や机の足、壁の土、そんなものの中に自分の体が埋まっていた。起き上がろうとしたが体がいうことをきかない。それでも浩作はひっしにもがいた、ほこりっぽい、いがらっぽいにおいがした。そのうちに、パチパチとなにかがはぜる音が聞こえてきた。そちらに目をやると赤い火が見えた。
『学校に爆弾が落ちたんど。はよ、逃げんと！』
浩作は机の足をけとばした。それからコンクリートの破片を手でおしのけた。それでようやっと手足が自由になった。体のふしぶしが痛い。
「イタイよ、イタイよ、お母ちゃん‥‥」
また、藤川さんの声が聞こえてきた。浩作はがれきの山をかきわけ声のする方に近づいた。すると血のにおいがした。見ると、机の下に血まみれになった藤川さんが転がっていた。腰から上がまっ黒だ。
「ど、どうしたんなら、先生に知らせんと」
浩作は、ひっしになって材木やら、瓦をかきわけた。そして一枚のトタン板を手で押し上げた。そのとたん、視界が開けた。目の前に校庭があった。
「なんなんじゃ、これは！」
浩作は叫んだ。ついさっきまであった景色はどこにもなかった。校庭をぐるりとかこんでいたアオギリの木はすっかり焼け焦げ一枚の葉っぱも残っていない。そしてだ、校庭のあちこちに黒く焼けたものが一面にごろごろとしている。
『焼夷弾ど。爆発したらおおごとじゃ！』
とっさに浩作は駆けだした。が、すぐにその一つにけつまずいた。ひやりとした。ぐにゃりとした感覚が足に伝わったからだ。浩作は、そこに立ちすくんだ。けつまづいた黒こげの物体から丸いものが二つ飛び出ていた。それは、人の目の玉だった。
『なんな、こりゃあぜんぶが人なんじゃ！』
そこら中に転がっているものは黒こげになった人間だった。散乱している黒い棒っきれは吹き飛ばされた手であり、足であったのだ。そのすべてが朝礼を受けていた生徒たちだ。
『ほじゃけど、火事にもなっとらんのに、どげにしてこげに焼けたんじゃろうか。なんかえらいことが起こったんじゃ……洋介も焼けたんかの！』
ふとそう思いついて、浩作はぎょっとした。
「ヨウスケ、ヨウスケ！」
浩作は、弟の名を叫んだ。が、なんの応答もない。不気味なほどだ。と、後ろでかさりと音がした。浩作は振り返った。すると、そこには黒い太い棒が立っていた。
「う、うのか？」
それが声を出した。体中から灰ワカメのようなものをぶら下げた化け物がだ。両手を前につきだして立っていた。その顔は風船のようにふくれあがっていた。
「た、たきもと先生？」
その声で分かったのだ。
「ほう、ほうよ……」
担任の滝本先生だ。先生は、そういったきりばたりと倒れた。浩作は手を出せなかった。怖くて怖くてたまらなかった。それでも浩作は、四年生の列にある一つ一つの黒こげの死体を見てまわった。中にはまだ生きている生徒がいて「お母ちゃん、お母ちゃん」という。そして、浩作に手をさしのべる。が、浩作はそれを振り払った。
「ヨウスケ、ヨウスケ」
名前を呼びながら、転がった死体を起こしては、浩作は弟を探した。が、胸につけているはずの名札は焼け焦げていて、だれがだれなのかわからない。弟はなかなか見つからない。そのうちにあちこちから火の粉が飛んできた。
「ヨウスケ、ヨウスケ、どこ行ったんなら……」
そういいながら浩作は泣いていた。ついさっき、にこっと笑って挙手をした洋介の姿が思い起こされたのだ。そのとたんに広島駅前でうれしそうに新型電車に乗り込む弟が浮かんできた。
『ほうじゃ、六五〇形じゃ。爆弾が落ちるのを知って逃げたんじゃろう。はしっこい弟のことじゃけえ、電車通りまで走っていって、六五○形の電車で逃げたんじゃ』
浩作はその思いにとりつかれた。とたんに足が動き出す。校庭を駆けた。駆けだすと止まらない。逃げるように浩作は走った。後ろから化け物が追っかけてくるような気がした。それでも校庭の外れに来たところで、浩作は立ち止まった。そして、後ろを振り返った。講堂はつぶれ、校舎もひしゃげていた。あちこちから火の手があがっていた。六年二組のあったあたりからも盛んに火がふき出ていた。
『ごめんの、ごめんの‥‥』
心の中で浩作は、なんどもなんどもつぶやいた。
浩作はまた走り出した。やみくもに駆けた。が、走っても走っても景色は変わらない。ついさっきまであった広島の家並みはどこにもない。すべての建物がひしゃげ吹き飛ばされていた。それでもがむしゃらに走った。がれきの山をのりこえ、もらめらと燃える材木のわきをすりぬけた。
道路には、レンガやトタンやコンクリートの破片、材木、電線などが一面に散らばっていた。そして、黒い丸太ん棒が何十本、何百本とそこら中に転がっていた。それは焼け焦げた死体だった。そればかりか、多くの、おおぜいの得体の知れない生き物が走ったり歩いていたりしていた。頭はちりちりに焼け、顔から、あごから、手から海草のようなものを垂らした人間が、燃えさかる火の向こうから何十人、もうもうと立ち昇る煙の向こうから何百人とやってくる。それがあとからあとからひっきりなしに現れては消えていく。そこを渦を巻いた火が襲ってくる。
走っている者、歩いている者、その方向はてんでばらばらだった。「己斐だ」、「江波だ」、「宇品だ」、「東練兵場だ」という声も聞こえる。それぞれが避難先を求めて右往左往していた。だが、浩作は電車道をひたすらめざした。するうちに、衣服をほとんど身につけていない女学生の群れが反対方向からやってくる。みな全身に重油をかぶったようにどす黒い。それが声一つ立てず黙々とはだしで歩いている。また、これも頭髪をちりちりにした半裸の数人の子どもが、こんどは浩作を追い抜いていく。「お母ちゃん、お母ちゃん」と叫びながらだ。そのあとを馬が「ヒィヒン、ヒィヒン」と鳴きながら駆けてくる。その間にも一段といきおいを増した火炎が襲ってくる。
「水、水をくれ」
道ばたの黒いかたまりが口をきいた。
『ごめんの、ごめんの』
「一つ、軍人は忠節を尽くすことを本文とすべし……」
ぼろぼろの軍服を着た人が、狂ったようにわめいていた。
「水、水をくれんね」
『ごめんの、ごめんの』
「アイゴー、アイゴー」
朝鮮の女の人が黒こげになった小さい子を平手でたたいている。
「み、水」
『ごめんの、ごめんの』
「お願いじゃけん、うちを助けると思うて、この体を川の中に投げてくれんね」
橋の欄干をよじのぼろうともがき苦しんでいる女の人が通りかかる人に声をかける。
「水をください、水をください……」
『ごめんの、ごめんの』
「きみがぁよぉは、ちよにぃやちよに、さざれー、いしのー、いわおとなぁりて……」
炎のうずまく中に直立不動で立ち、日の丸を振っている。その旗が火に吞まれ人影は消えた。が、炎の向こうから動員学徒らしい中学生が声を合わせて歌っているのが聞こえてきた。火炎、煙からいろんな音や声が通り過ぎてゆく。耳を閉じていても心の耳が聞いていて、浩作のあとを追いかけてくる。それを振り払うように走った。枕木がぷすぷすと燃えている鉄橋も渡った。欄干がすっかり吹き飛んだ橋も渡った。火炎が迫ってきて、一度は川に飛び込んだ。すると水がお湯のように熱かった。それでも火は川面をなめるように襲ってきた。浩作はそれを避けようとなんども水に潜った。が、引き潮が自分の体を下流に押し流す。そして、何度目かに水面から顔を出したとき、船着き場として使われている川に下りる階段、雁木が見えた。そこには燃えさかる火炎から逃れようとやってきた何百という中学生や女学生がひしめきあうようにして倒れていた。浩作はまた潜った。そして、こんど川面に顔を出したとき運良く流れてきた板につかまることができた。こんどは両岸の雁木が見渡せた。川上から川下までだ。
『みんな死んどる。みんな死んだんじゃ！』
両岸のどの雁木にも、何十、何百と死体がおり重なりあうように横たわっていた。その後ろにはもうもうとした煙、焔、火炎、そして、人々の叫び声。
＊
どれくらいの時間が経ったのだろうか。火勢がおとろえたところでその川岸に浩作は、はい上がった。するとそこにも多くの動員学徒が転がっていた。みな目玉が飛び出し、衣服は燃え、まっ裸だ。皮膚は全身が赤茶け、ふくれあがっていた。岸から土手に上がるとき何十という死体を踏みつけた。気味の悪い感触が足に走る。まるで死んだ人間でできた泥沼だ。ずるりとしたはらわた、みょうに生あたたかい骨、ぬたりとした血。もがけばもがくほど幾重にも重なった手が、足が、頭が、胴体が自分をその泥沼に引き込もうとする。
「あれは、元安川じゃったんじゃろうか。本川じゃったんじゃろうか。それとも夢じゃったんか？」
気がつくとまた走っていた。おかしなことに目の前の景物よりも記憶の断片の方がはっきり浮かんでくる。何十枚、何百枚という記憶の写真が走れば走るほどきざまれていく。その一枚の写真の前で立ち止まったような気がする。「君が代」の聞こえてくる炎の向こうをじっと見ていたような気もする。だんだんに時間というものがわからなくなってきた。
浩作は、やがて、見覚えのある広い通りに出た。電車通りだ。そこで浩作は立ち止まった。そのときになって、ようやっと目を大きく開けて前を見た。しかし、いつもの見慣れた景色は、そこにはなかった。電車道の両側の建物はすっかりなくなっていて、ずっと遠くまでが見渡せた。黒黒としたがれきの山がどこまでもどこまでも続いていた。それでもところどころにコンクリートの建物がぽつんぽつんと残っていた。あちこちから盛んに火がふき出ていた。空はその煙でまっ黒だ。が、そんな中で浩作は一つの見覚えのある形を見つけた。
「おむすび山が見えとる、なにがどうなっとるんなら！」
浩作のいるその電車通りからふだんは見えるはずもないものである。その似島の安芸小富士が、黒煙がとぎれた瞬間に向こうに見えた。それで街中が見る影もなくすっかり吹き飛ばされていることを知った。
「広島の街は、みんな、こげなふうになってしもうたんじゃ！」
浩作は、自分の住む小さな世界が爆弾でやられたのだと思っていた。が、目の前に広がっている光景を見る限り、明らかにそれは違っていた。地の果てまで続く焼け焦げた廃墟、そこに火炎と煙がうずまいていた。その下に何十、何百、いや何千という熱に焼かれた人々、爺さんや、婆さん、大人はもちろん、少年や少女などが倒れていた。まるで悪魔にけ散らされでもしたかのようにみじめに転がっている。かろうじて生き残った人々も人間ではない。海草のようなものを体中からとろんとぶらさげている。そのだれもが両手を、まるで申し合わせでもしたかのように前につきだして歩いている。そういう男が、女が、子どもがあとからあとからやってくる……。
「広島だけじゃのうて、ひょっとしたら、世界中がこうなっとるんじゃあないんか？」
黒くとがった光が浩作の過去を、今を、未来をこなごなにうち砕いてしまった。果てもない闇にほうり投げられたように思った。浩作はぶうるると震えた。
それでも浩作は、目を線路に向けた。石畳に敷かれた線路は黒く焦げていた。その線路に沿って向こうを見た。すると、アメ色に焼けた箱が見えた。電車だ。道路のまん中には焼けて枠だけを残した電車が止まっていた。そこには運転手が乗っていた。まっ黒焦げの運転手はコントローラーに手を置いていた。乗客はみな片手を挙げている。吊革につかまったままの姿で炭になっていた。それは、一〇〇形Ａ型のようだった。
『みんなみんな死んでしもうた。電車も死んでしもうたんじゃ』
なにもかにもが焼け焦げ、壊れ、吹き飛ばされ、そして、すべての人が亡くなってしまった。もう浩作の街は死んでしまったのだ。
『お母ちゃんも、ねえちゃんも、洋介も、雪江も、一ちゃんも、勝ちゃんも、みんなみんな死んでしもうたんじゃ。わしはたった一人残されたんじゃ』
浩作は、空を見上げた。すると、雨が降ってきた。腕にぽたりと落ちてきた雨だれは黒い線をひいて流れていった。
その日の夕暮れどきだった。街のあちこちはまだくすぶりつづけていた。焼け跡には黒こげの電柱があちこちに立っている。その先端からは黒い煙が立ち上っていた。それが死んだ街をとむらうお線香のように見える。もわりとした熱気、鼻がへしまがるほどの異様なにおいがどこまでいってもついてまわる。そんな街を浩作は、とぼとぼと歩いていた。やがて、向こうに焼けて鉄骨だけになった何台もの電車が見えてきた。土橋電停のようである。電車にはまだ何人もが乗っていた。もう話をすることもない乗客である。
その電車の一台、一台を見てまわった。浩作は母と姉を探していた。母は日勤で浩作たちが出かけたあとに、宇品ゆきの電車に乗ったはずである。時間からすると電車の中で爆弾にあっているに違いない。姉も乗務していただろう。
電車の中には、いくつも死体がおり重なっていた。その中に、電鉄の鉢巻き締めた女学生がいた。浩作は、はっとした。それで、いそいでうつぶせになった体を起こしてみる。が、その女学生は車掌カバンをしっかりと手に握りしめていた。姉ではなかった。
二台目の電車の中にはロウソクの明かりがともっていた。電車は四○○形のようだ。
『だれが乗っとるんじゃろうか？』
浩作は、その電車のステップに足をかけた。すると中から声が聞こえてくる。
「ロープをひっぱれ、もっとひっぱれ、ほうじゃ、もうすぐじゃけん……」
「ヤッちゃん、もうええじゃろ。建物疎開は終わったんじゃけえ」
女の人の声がした。
「こんばんは？」
電車の中に入って、浩作はあいさつした。床にすわったその人は顔を上げた。
「小母さん、どうしたんね？」
「この子はうちの息子なんよ。新大橋に建物疎開で動員されとって、あそこでやられたんよ」
小母さんは、顔が風船のようにはれあがった男の子を抱いていた。
「ほんなら、二中の生徒じゃないですか？」
「ほうよ、二中の生徒じゃ。あんたどうして知っとるん？」
「家の向かいに住んどる二中に通っとる人ときょうの朝出がけにいっしょになって、その人から新大橋での疎開作業のことは聞いとったんです」
「その方はなんといわれるん？」
「壬生一郎いうて、わしらは一ちゃんと呼んどります」
「この子の友達で、そんな名前の人は聞いたことはないのう。ほじゃけど、二中の一年生はみんな爆弾の直撃を受けてほとんどがやられとるいうけんね。うちは舟入で爆弾におうて足をけがして、古田町に帰ったんよ。そしたら、この子の同級生のお父さんが、うちの康夫が新大橋から逃げてきて、『土橋の焼けた電車の中におる』いうて知らせてくれたんよ。ほぃじゃけえ、うちも気が気でのうて、近所の人にオート三輪車頼んで、ここまで来たら、この子がおっての……ほじゃけど、もうよう口もきけんのんよ……ほれみてみい服もなにも焼け焦げてぼろぼろじゃ……それでも、この子がさっき、『砂が燃えておった』というとったんよ。なんじゃわけのわからん爆弾にやられたんじゃね。新大橋のある中島町が根こそぎ吹き飛ばされたいうけんね。そこにいた二中の生徒はみんなやられてしもうて川に飛び込んだり、逃げたりしたいうんじゃけど、みんなこの子と同じようにひどいやけど負うとるいうけんね。ここらへんの土橋あたりに動員されとった第一県女や市立中学の生徒もほとんどがやられたらしいの。二日から学徒動員で建物疎開に行かされとった生徒さんは何千人じゃし、その子どもたちのほとんどがやられとる、なんともむごい話じゃの。みんなまだ子どもじゃいうのにの。いまだってここをよおけ人が通りょうるじゃろ。己斐の方から入って来よるんよ。そのほとんどが、自分の息子や娘を探しに来とるんじゃけど、みんなこうなっとるんよ。こんとな子どもをよう敵さんは殺しよる。むごいことを、むごいことを……」
小母さんは涙声でそういった。そして、はっと気づいたようにビンを取って、息子のただれた皮膚に油を塗った。
「ロープをひっぱれ、もっとひっぱれ、ほれ、もうすぐじゃ……」
「ヤッちゃんもうええじゃろ。建物疎開は終わったんじゃけえ」
小母さんがさっきと同じことをいって、浩作の方に顔を向けた。
「あんた、顔をよう見せてみんね。なんか顔から血が流れとるで。マーキュロ塗っちゃるけん。頭のところにガラスもささっとるんじゃないの」
そう小母さんにいわれて、いまになって浩作は体中に痛みを感じた。小母さんは、「こっちにも、ほら、ここにも」といってガラスを抜く。そのたびに痛みが走る。
「あんた、国民学校六年生の宇野浩作いうんじゃね。じゃけんど、あんたあ、これぐらいの傷ですんだんは幸せじゃと思わんといけんよ。そぃで、うちの人はどうしたんね」
小母さんは、シャツの胸にぬいつけられた名札を見たようだ。
「わからん、お母ちゃんも、ねえちゃんも、弟もわからん。ほじゃけど、妹はここにおる」
浩作は、腰に下げた缶からを指さした。ついさっき家の焼け跡に行って雪江を拾ってきたのだ。まだ火の残る焼け跡を棒ぐいで掘り返した。焼け残った石の門を目印にして玄関あたりから必死に掘っていった。するとすぐに白いものが見えた。骨だった。小さい雪江がいっそう小さくなっていた。母を見送ったまま玄関にいたのだろうか、浩作は泣きながら、その雪江を赤茶けた茶筒に入れた。缶からだ。それを焼けた電線でぐるぐる巻きにして自分のベルトにしっかりと結びつけた。その骨は浩作が走るとカラカラと鳴った。その音がどこまで行ってもついてくる。
「なんねえ、あんた一人で行ったんね。ほんまにえらいの。あのね、小母さん、ここによおけおむすび作ってきたんよ。この子に食べさせよう思うてね。ほじゃけど、この子はなんも受け付けん。たまに『水くれ、水くれ』いいよるけど、水やったら死ぬいうことを兵隊さんから聞いておるから、それだけはやらんのよ」
小母さんは、竹の皮に入った白いおむすびを出してくれた。それを見て、浩作は福島川鉄橋のことを思い出した。浩作が口にしたそれは塩辛い。自分の涙を食べたからだ。
「生きとるもんが、よおけ食べて、元気にならんと、ほぃでから、お母さんとおねえさんと弟を探しんさい。きっと生きとるけえ」
「洋介はきっと死んどる。わしが見捨てたんじゃ。学校が燃えて来て、ほぃで、自分だけ逃げて来たんじゃ」
「洋介って、あんたの弟なんじゃね、ほぅねえ、ほじゃけどね、あんたが悪いんじゃないんよ。とんでもない爆弾を落としたもんが悪いんじゃけえ」
「うちの洋介は、この電車がものすごう好きじゃった。きょうも、夢の電車で『三段峡』行こうゆうて学校で別れたばかりじゃったのに」
浩作はわずかに残っている四○○形の天井を見た。焼け残ったつり革が一本風にゆれていた。どの窓にもガラスは一枚もなかった。電車の運転台に行ってみると、コントローラーもハンドブレーキもゆがみ、ひしゃげていた。
「空襲警報が鳴りよぅる、これ以上人を殺して何の意味があるん？」
小母さんが小声でいった。
「Ｂ２９をやっつけえ。勝て、勝て、日本！」
康夫君がわめいている声が聞こえてきた。
耳を澄ますと遠くでサイレンが鳴っている。浩作は、運転台の窓から東の方を見た。街は、まだあちこちが燃えていた。その赤い火の向こうに青白い直線的な灯りが数本、空の上で交差していた。比治山あたりにある探照灯のようだ。赤と青の光、そこに骨格だけとなってしまった産業奨励館のかげがくっきりと浮かび上がって見えた。
〇第１３回戦争経験を伝承する会、2020/05/24、13時30分に開始するものだった。その時間にアップするものである。
