2020年08月15日

下北沢X物語(4065)―戦争残酷:列車銃撃事件の現場を行く―

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(一)事件現場に行って感じたことは、戦争の残酷さ残忍さである。昭和20年8月5日、新宿発長野行きの中央線四一九列車はP-51ムスタングによる機銃掃射を受けた。湯の花トンネルに機関車と次位の一両目が入ったところ架線がやられて電気機関車は停止した。二両目から八両目は築堤上に取り残された。丸裸となった列車を何度も執拗に狙った。「死者四十九人、重軽傷者九百二十一人」その現場に行って射的を想像した。赤ら顔の戦闘機の白人パイロットは「イヒヒヒヒ」と言いながら機銃をぶち込んだ。慈悲のかけらもない。おもしろがってゲームでもするような感覚で人を標的に撃った。「ひどい!」と言っても通じない。人は平和をという、ところが人間の本性には残忍さが潜んでいる、戦争になれば人は誰でも悪魔になる。「浅ましき哉、人類よ。猿の親戚よ」(長谷川信少尉『きけわだつみのこえ』)

 「湯の花トンネル列車銃撃事件」は前から知っている。これに取材した「中央本線四一九列車」(斎藤勉著 のんぷる社)はだいぶ前に買って持っていた。

 戦後75年を迎える。書こうと思ったのは、「戦争と汽車」の話である。「戦争と飛行機」の話は数多い。が、戦争に関わる汽車の話はあまり話題にはならない。

 戦争中における汽車の働きは人員や物資輸送が中心だった。下働きに徹したのが汽車である。飛行機は特攻に行った、が、汽車は特攻に行かなかった。人は晴れ舞台で活躍した飛行機の話を好んだ。兵員を運んだり、食糧を輸送したりする地味な汽車の話は好まない。

 「戦争と飛行機」は派手だ、「戦争と汽車」には花がない。憐れである。もの悲しい話ばかりだ。今日は8月15日だ。思い出す話がある。
 
 海軍第十四期飛行予備学生手塚久四さんの証言である。
 千歳海軍航空隊でゼロ戦での特攻訓練を終えた十一名がいた。この隊長が手塚さんだ。特攻機で出撃を命じられた。が、飛行機はなく出撃基地の四国観音寺までは汽車だ。
 8月13日夜、航空隊全員の「帽振れ」に見送られて駅から汽車に乗った。が、津軽海峡は潜水艦での襲撃を恐れ動いていない。徴用船で青森に渡った。そして十四日夜に仙台に着いた。空襲を受けた仙台では野宿だった。翌日十五日、駅長から重大放送がお昼にあると聞いた。

「天皇の言葉は初めて聞いて、しかも言葉が漢文調でわかりにくいし、一体どういうことなんだと思っていたんですけど、途中で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲すとあったんで、ああ、これは戦争をやめたんだと思ったんですよ」

「私達は、死ぬつもりで出かけていますからね。今考えてもぞっとしますね。もう呆然自失なんてことばでは言い表せない。天と地がひっくり返ったようなもんですからね。なんかね、真っ直ぐ立っているのが苦しいくらいでした……、私の判断で原隊の谷田部海軍航空隊へ戻りました。すると隊長が『ご苦労じゃった』と……」


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(二)
 京王線高尾で降りて歩いた。甲州街道沿いを行く、中央線のガードを潜る本道を逸れて右に行く道がある。旧甲州街道だ。アスファルト道路が緩やかに山へと登っている。車は頻繁に通る、国道516号、一帯は裏高尾と呼ばれている地域だ。
 やがて行くと病院が見えてきた。ガードマンが立っている。
「慰霊碑はこの先ですか?」
「ああ、汽車の銃撃ね、そこの掲示板に慰霊祭のことが書いてあるものが貼ってあるよ……」

  8月5日はいのはなトンネル列車銃撃事件 慰霊の日です。


 毎年慰霊祭を行い。再び戦争が起こらないように「慰霊の集い」を行ってきたが今年はコロナウィルスの感染防止のためにこれを開催しないことにした、献花のみを行うとあった。末尾には「いのはなとんねる列車銃撃事件遭難者慰霊の会」とある。事件の伝承が地元で行われている。

 旧道を先に行くと『小仏関跡』があった。江戸時代やはり「入鉄砲に出女」をここで厳しく取り締まったと。甲州への道を通す場合ここの沢筋がベストだったのだろう。中央本線も並走する形で西へと向かっている。

 西へ行けば山は深くなる。歩いていくうちにもたげてきたのはどうしてこんな山中にP51ムスタングは襲ってきたのだろうということだ。

 道を行っても人とは会わない。それでも前から人が来た。杖をついている。地元の人に相違ない。
「慰霊碑はもう近いですか?」
「ああ、ほらあそこ右にまがればすぐですよ」

(三)
「明日が終戦の日だからお参りにきたんですよ」
「それはごくろうさまです」
「しかし、凄惨な事件でしたね」
「うん、ひどいよな」
「そうそう、何度も降下してきて襲ったのですよね」
「そうだよ、それも客車だよ」
「なんか超満員だったらしいですよ」
「そうだろう」
「こんな山の中まで来て、何か獲物を見つけたみたいにさんざん撃ちまくったのですよね」
「いやあ、ひどいもんだ」
「よくいいますよね、無差別爆撃、無差別銃撃とか、無差別はいけないというのですが、撃つ側は初手から区別する気はないのですよね。ここでもそうですよね。普通列車ですから一般の人が乗っている。それを撃ちまくったのですから差別して撃とうなんて気はなかったと思うのです」

 終戦記念日である。原爆投下、無差別空襲、を我々は非難する。当事者であるわれわれの侵略行為だとか、戦争責任を問う声は聞かれない。

 昭和19年(1944)年10月29日の東京朝日新聞の一面トップ記事、神風特攻第1号・関行男大尉についての大見出し。

 神鷲の忠烈 萬世に燦たり

ジャーナリズムが戦争を煽りに煽っていたことは忘れてはならない。
(写真は湯の花トンネル。そして慰霊碑)


rail777 at 12:00│Comments(2)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

2. Posted by きむらけん   2023年08月08日 08:35
>>1コメントをありがとうございます。今日のブログで話題にします。
1. Posted by SNOOPY   2023年08月07日 22:00
5 毎年、8月5日がくるたびに 「湯の花トンネル列車銃撃事件」を 取り上げたサイトを訪れては、被害に遭われた方々へ想いを深め、反戦と平和への誓いを新たにしています。
こちらのページも何度か拝見しておりましたが、この悲惨な事件が少しでも広く世に伝わることを願い、私にできるささやかな行動のひとつとして今回コメントを残させていただきました。
そして、私たちと想いを同じくする人がこの惨事を『いのはなトンネル列車銃撃事件の悲劇』という楽曲にして YouTubeにアップしているのでここに記します。 https://www.youtube.com/watch?v=NBPSlgz4R3E
きむらけんさんの記事、写真、そして音楽… これら一つ一つが広く世に行き渡り 後世まで永く伝わっていって欲しいと思います。  

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