2021年08月29日

下北沢X物語(4316)―品川都鄙境駅の物語―

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(一)品川は都鄙境だ、上る者は緊張し、下る者は安堵する。例えば、内田百痢愨莪谿に捨鷦屐戞特急「はと」は、東京を出発し、「新橋駅をふっ飛ばし、それから間もなく、品川駅は稍徐行し、暗い歩道の屋根の陰を車窓に映し出しながら通過した」と描く。閑散として長いホームの品川通過を確認すれば安堵する。有島武郎『ある女』の乗った汽車は新橋を出発する。そして、「品川を過ぎて短いトンネルを汽車が出ようとする時、葉子はきびしく自分を見すえる目を眉のあたりに感じておもむろにそのほうを見かえった」、ここも出発の緊張が解けて、ふと男の視線を感じる。上りではこの品川近辺では化粧室は混み合う、女性達は急いでおめかしをして都会女性に化ける。前に読んだ記事で品川宿の一角に履き古した草履の山があって車窓光景としては汚いとあった。お江戸入りする旅人が品川宿で草履を履き替えたものだろう。これもおめかしの一つだ。

 北白川宮永久王殿下は、昭和十五年三月に品川駅から出征された。皇女東園佐和子、永久王次女はそのときの思いをこう記す。

春浅み品川駅のみすかたを思ひ浮かへて胸はせまりつ

品川駅からは海が見えた。東京駅だったら「春浅み」とは読まないだろう。品川停車場らしさがある。

さて、糸賀公一陸軍大尉の「仰徳集」所載の短歌、四首のうち一首載せていたがこれを息子さんの糸賀成三氏が検索で引いてこられてコメントされた。残りも返答に交えて掲載した。すると返答があった。

 昨日この記事をコピーして父に会って来ました。大変喜び、こうして情報を提供していただきました皆様に、くれぐれもお礼をと言うことで、再度ご連絡を致しました。
さすがに高齢ですので(98歳)自分の詠んだ歌の文言までは憶えていないようでしたが、品川の宮邸に何度かお邪魔した事、また運動会があった事など思い出したようです。
蒙彊の地でご逝去された時には父は、東京から出張のおり現地に伺ったと、話して居りました。また宮様は演習中に自国の飛行機に突っ込まれて亡くなられ、宮様の父君、祖父君もいずれも不慮の死に遭われていたので、宮様自身日ごろから、注意されていたにもかかわらず、あのような事になってしまって、あの無念さは忘れられないと言って涙ぐんでいました。
 日ごろは単調な療養生活ですが、父はこの記事は何度も私に読んでくれるように要求し、昨日は思いがけず充実した日となった事でしょう。ありがとうございました。



(二)
 このところ遺構が発見されたことで話題になっているのは「高輪築堤」である。これは海岸から数十メートル沖合に築かれ、浮世絵などでも築上を走る蒸気機関車が描かれている。現在の田町品川間だ。これが「海の上を走る鉄道」だ。2019年4月、品川駅改良工事の際に築堤の石垣の一部が見つかって大きなニュースとなった。今、この遺構をどう残すのかが問題になっている。

 文学ではどう描かれているか。正岡容に「山手歳時記」がある。ここに「品川の海」と題された短文がある。

 長谷川時雨女史は嘗て品川の所謂ステンショが波打ち際に建てられてゐて夏の明方など旅客は列車からヒラリ飛下り必らず白浪にその足を快く洗はれたものと誌してゐられた。蓋し今日の人々にこの光景の聯想は困難であらう。

 私は幼少の砌り芝庚申堂前に知合の家があつてそこへ伴つて行かれるたび、庭のすぐ向ふに寄せては返す汀を見た。やがておびたゞしい黒煙を吐きつゝ、そこを汽車が疾駆して行くのを見た。たしか小林清親にはこの景情と殆んど同一の版画があり、のちに木下杢太郎氏をしてあの清親ゑがく列車中には「佳人の奇遇」の女主人公が乗込んでゐたらうと云はしめた。
『東京恋慕帖』ちくま学芸文庫 2004年


長谷川時雨女史のこの見聞は面白い。品川停車場のすぐそばは波打ち際だった。文学作品のいくつかに汽車でここに海を見に来るということが書いてある。石川啄木もその一人だった。
 今と違って海の水は澄んでいたものだろう。

(三)
 長い間、自身は文学に描かれる車窓を探訪してきた。汽車美学は「廻り灯籠の画」明治以来幾多も描かれてきた。書き手は美しい海には惹かれるものだ。
例えば、小酒井不木は『深夜の電話』の中で、「大船駅を過ぎて、相模の海が見えるあたりは、東海道線のうちでも絶勝の一つに数えられます」という。茨木のり子には『根府川の海』という詩がある。海に触発されて創った詩だ。

 東海道筋のもっと手前では大森海岸が見える。これは有島武郎『或る女』に「だいぶ高くなった日の光がぱっと大森田圃おおもりたんぼに照り渡って、海が笑いながら光る」と描かれる。

 前から丹念に追っているのが車窓から眺めた品川の海だ、新橋を出た列車はやがて高輪築堤に掛かる。「海の上を走る鉄道」だ、多くが初体験しているがここで車窓は描かれるはずだが、皆無といっていい。たった一つ見つけたのは、永井荷風『新歸朝者日記』である。

 列車が動き出すと共に直樣自分は止せばよかつたと後悔した。丁度夕日の悲しく照す品川の入海と水田の間々に冬枯れした雜木の林をば、自分は遣瀬のない心持で眺め遣つた。

新橋を出たばかりの列車だ、車窓左手に品川の海が見えた。
 たった一つだ、何億何千万人が品川の海を見つめてきて、これ一つか?
 大きな大きな疑問である。(写真は高輪の北白川宮邸、古写真)



rail777 at 18:30│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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