2022年03月05日
下北沢Ｘ物語（4439）―三軒茶屋と近代の夜明け―
（一）世田谷には多くの美術家が住んでいる。この契機を作ったのは「関東大震災以降、私鉄各線の開通」だと言う。しかし先鞭をつけたのは玉川電車である。こちらは１１５年前の明治40年（1907)3月5日に開通した。渋谷を出た始発電車が三軒茶屋に来たときは見ものだ、三宿方向から四角い箱がやってくる。天井から竹竿みたいなものを突き出している。その先端がシュパッと音を立てて青白い光が走った。「おおっ！」、見物人は度肝を抜かれた。やがて箱は三軒茶屋に近づいた。若者や男の子たちは、腰をかがめて電車のスカートの下を覗き込む。「きれいなおみ足が見えるぞ！」と大人が冷やかす。馬もつけないで進んで来る理由がわからない。しかし、覗いても馬の脚は見えない、丸い車があるだけだった。ガッタンと音を立てて電車は三軒茶屋電停に着いた。近代の夜明けはあっけなくやってきた。
三軒茶屋の近代は電車開通で始まった。この間に大震災があり、戦災があった。この二つの災難を乗り越えて今日がある。カタンカタンと三軒茶屋の分岐部で音を立てていた電車も今は見られない。地下に潜って田園都市線として走っている。
玉川電車が開通して16年後の大正8年(1919)年９月である。世田谷村三宿九十一番地に画塾「白田舎」は建った。平福百穂の内弟子、舟山三朗はこう語っている。
「その頃世田谷三宿と言えば、まだ家はほんの少しばかり、あたりは雑木林と畠で、いたってのどかでのんびりしていてそのあたり三宿から三軒茶屋にかけて、多くの画家がすんでいた。
小堀鞆音（こぼりともと）、松林桂月、矢沢弦月、野口謙次郎、郷倉千靱（ごうくらせんじん） 樫山南風といった人たち、以前は画家が土地の人に招かれて、いっしょにウサギ狩りすることもあったという。
白田舎の敷地約千坪（三、五〇〇メートル）、建坪約二百坪（六六〇平方メートルも）、庭にはオシドリ、雁などいろいろの鳥が飼われていた」
「評伝 平福百穂」（加藤昭作 短歌新聞社 ２００２年刊）
内弟子舟山三朗は、昭和８年１０月３０日、平福百穂画伯が没すると彼が残務整理にあたった。「白田舎」は広く借地料も高かったのでここを整理して吉祥寺に転居する。
（二）
内弟子が残した回想記は興味深い。
まず、白田舎が建った頃の環境である。
表通りは大山街道である。その頃の地図で見ると表通りは商店などがあった家々が並んでいる。ところが裏手に回ると一帯は、「雑木林と畠」であった。いわゆる武蔵野だ。
敷地は尾根筋の丘にあった。
平福百穂画伯はアララギ派歌人でもあった。大正十年「白田舎歳晩」と題して詠んでいる歌、一首。
雪の後しめりしたしき世田谷の木立の中に多くの家見ゆ
丘上から谷間を俯瞰した歌だろう、すなわち烏山川が抉った谷である。武蔵野の雑木の向こうに家々が建っていた。しっとりとした風景であったようだ。
興味深いのは、「三宿から三軒茶屋にかけて、多くの画家がすんでいた」ことだ。六名の名が挙がっている。著名な画家である。彼等が一帯に住まっていた。
玉電が開いた郊外地は日本画の書き手にとって魅力的だった。日本画のコロニーがあったことは大事な点だろう。風光と環境に魅せられてきていた。
これら画家同士がどのように交流していたかは詳らかではない。矢沢弦月と平福百穂とは交流があったようだ。矢沢は、世田谷区大子堂三三九で白田舎のすぐ側だ。
調べてみると堅山南風は瀬田、松林桂月は深沢に住んでいる。晩年である。修行時代に画家達は三軒茶屋近辺に住んでいた。これは興味深いことだ。
（三）
大正8年(1919)年9月に白田舎は建った。最寄りは玉川電車三宿である。そう言えば思い出した。北沢に海外植民学校があった。こちらの創立は大正７年(1018)４月２８日である。この海外の最寄り駅は、玉電三宿だった。
三宿に着くと、白田舎の画塾生と海外植民学校の生徒が降りた。
玉電によって開けた武蔵野に若者を育てる学校も順次建っていった。
昭和2年小田急が開通すると世田谷代田駅前には帝国音楽学校が開校する。近代の夜明けである。（了）
（写真、烏山川右岸の風景）
