2022年03月09日
下北沢Ｘ物語（4442）―忘れ得ぬ鉄道風景二題―
（一）人生を意義づけると自身は鉄道全盛時代を生きてきた。ゆえに鉄道黄金風景を記憶に多く貯め込んできた。汽車に乗ると窓辺にかじりつく、飽きることなく移ろう景色を見てきた。その風景から紐解くとやはり人は海が好きだと思う。全国津々浦々を巡ると生者にも出会うが死者にもまみえる。丘の上や山の中腹には墓が見える。すべて海の方を向いている。海に抱かれて死ぬというのが我らの理想なのだろう。冬、東北のどこだったか？深い谷間が見えた。折も折高波が押し寄せて海岸の墓を今にも呑み込もうとしていた。むしろを巻き付けられた墓は、丘に必死にへばりついていた。今回は今もなお思いに残る鉄道風景を紹介しよう。
日田英彦山線上り七七四列車 きむらけん
列車番号744
日田発15時26分門司港行きは
黄昏れ時を走る汽車 かたこときゃたこと
小さな駅を 一つ拾ってはまた捨てる
香春、採銅所、呼野、石原町、志井、石田、城野……
夕暮れの陽は きゅるりきゅろきゅろ
黒いボタ山、黄金の稲田、薄紅色のカルスト台地
五彩に染まった窓辺は やがて瑠璃色
客車の鬼灯 ぼぁり点って きゃたこときゃたことてんてん
左手の海行く 赤と青のランプ
船の汽笛が ばぁうぼうと響く関門海峡 きゃたたんこととん
機関車の汽笛も ぼあうぅと応えて
もじこぅ〜、もじこぅ〜と よばう 駅のホームが流れて来て
線路は18時43分に 頭端式に行き止まる
着いた先の向こうの海は 壇ノ浦
海の底には 都があると ベベベンと語る琵琶法師
旅の情調は想い巡って イタリアローマのテルミ駅
薄暮に浮かぶ銅葺き屋根に 遠い異国が偲ばれる
門司港駅は終着駅
大正の時影漂う古い駅
『青春と読書』２００２年５月号 集英社
（二）
人生は風景を透過していく、一枚一枚の画はすぐに忘れ去っていく。が、今でも思い起こすと気持ちが熱くなってくる一枚の鉄道駅風景がある。
春のゆろるりとした日射しが山と海に挟まれた小駅を照らしている。 一番線プラットフォームの古枕木の柵に沿って、十数本の桜樹の根が砂地に食い込んでいた。 黒い武骨な太い幹には緑の苔ガむしている。その幹からてんでに伸びた枝枝には、薄紅色のふうわりとした花の笠が幾重にもかかっていた。ゆるりと過ぎ去りゆく時が、その色にあえかに染まっているようだった。 波音がぞぞぶんと微かに聞こえ、そして蜂の羽音がぶるるん聞こえる。 そやろりと風が吹いて花びらが散る。 赤錆びた線路のバラストが白く染まる。
木造の小さな駅舎のスレート瓦に陽炎が揺らいでいる。 ホーム側にせり出した屋根の下に黒い転轍機が数台並んでいた。 その右から二番目の取っ手にモンシロチョウが一頭止まっている。時折、からんからからと音がする。 木製の改札口の上に掛けられた青い木札、「つぎの上り、2時32分」と「つぎの下り、2時35分」とが風に揺られてぶつかっていた。硝子戸の向こうの駅事務所には。 白髪の駅員が、独りいて、机に向かっている。荷札の整理をしているようだった。 上り、下りとも到着までだいぶ時間がある。長椅子二脚の待合室には誰もいない。 斜めから差し込んできた陽が、煙草の焼け焦げのついた緑色のモケットに当たって、そこに日溜まりを作っていた。
日脚がモケットのはじにかかったころ、突然ちぃん、ちぃんと電鈴が鳴った。駅務室にに置かれた奥行きのある二台の赤い箱。 その一方の通票閉塞機のベルの音だ。 そのとたんに駅員はすくっと立ち上がり、机に置いた帽子をかぶった。そして、足早に機械に取り憑いた。 ハンドルを押したり、電話を掛けたりとせわしない。 その間にもベルが鳴る。寂とした駅の空気がきりりと張りつめる。
硝子戸が開いて駅員が出てきた。肩には、わっか状のタブレットキャリアを掛けている。彼は、きびきびとした足取りで転轍機に向かう。そして、そこにたどり着くと、一台の転轍機を指でしっかりと確認した。彼はとってに手をかけた。そして、それを手前にぐっと引いた。 分銅の付いた金属棒が勢いよく倒れる。その瞬間、倒れた転轍機がバウンドして、がごんごんと地響きを立てる。と、構内に張り巡らされたワイヤーがぐびゅんと唸って、しゅわぁうと鳴り響く。 眠りをむさぼっていた小駅が目を覚ます。唸りが遠のき、やや間があって、ホーム前方の薄緑に包まれたあたりの分岐機の先端軌条がことりと動いた。と、同時に、その脇の白いボールに掛かった腕木信号が水平から斜めにひょるりと垂れた。 彼らはすぐさまホームの縁石に立って右腕をまっすぐに伸ばしその信号を確認し、「進路よぉし」とつぶやいた。 その彼の紺色の制服に花びらが降りかかる。帽子の庇に隠れたくぼんだ目、それが真向いの蒼い海にちらりと向けられる。 その眼差しの果てには、淡い藤色の空が白く霞んだ海と接してぼんやりとした境界線を作っていた。
ずっくざっくと砂を踏みしめて駅員が戻ってきた。ホーム先端のタブレット受け棒に キャリアーをセットしてきたのだ。 彼はホーム中央の定位置について、下り方向を見る。目前の中空にもぅわりとふくらみふくらんだ淡い薄紅の花。 それを切り取っている青空が眩しい。その桜花の向こうにもぞりと動くものが現れた。 茶のチューブ状のものがうねるように走ってくる。蒸気機関車に牽かれた列車だった。太ってきた機関車が進入合図の汽笛を、ぱぉぉ〜と鳴らす。 それが薄緑の色にももえあった右手の山々に来られました。 そして跳ね返ってきた音が花を散らす。その間にも機関車はぐんぐん近づいてくる。レール軋る。機関車がホームにさしかかった時にキャビンから、タブレットが放り投げられる螺旋コイル状のタブレットキャッチャーにそれが掛かってくるりと回る。が、それも束の間のことで、ぐわがうと機関車は吠えながら向かってくる。 駅員はキャビンから目を離さない。しゅるるしゅるしゅると彼の目前を蒸気機関車が走り抜ける。首をくるりと回す。それから何秒も経たないうちに、キャビンのタブレットキャッチャーが受け棒のキャリーをがっしりと捉えた。 続いて後ろに繋がった客車が、きゃたことてんてん、きゃたことてんてんと軽やかな響きを立てて通過する。列車の風圧に煽られて枝枝の花びらが一斉に飛び散り、舞い上がった。そこをてんてんきゃたこと、てんてんと、荷物車がこげ茶の後ろ姿を見せて駆け抜ける。 白い花吹雪が降り濯ぐ中を赤いテールマークがいっさんに過ぎていく。
ホームに直立した老駅員は、遠ざかりゆく上りの後尾をじっと見つめる。それが萌え出した浅黄色の木々の向こうに消えようとする時に、彼の右腕がひょいと伸びた。急行通過の指差し確認。その駅員の背にまた数枚の花びらが、ひらるるひろるると降りかかる。過ゆく時がまたあえかな紅に染まる。
砂地のホーム花びらが白々と散り敷いていた。風が吹いて鉄錆が鼻を衝く。と同時に 花がかすかに匂う……ざざぶんと、波の音がまた聴こえてきた。
（三）
上記文章は、自著『日本鉄道詩紀行』（集英社新書）のエピローグだ。
タイトルは「汽車遠影萌葱に隠れゆく」である。私には忘れ難い汽車風景絵画だ。
（写真は在りし日の下関駅だ）
人生は風景を透過していく、一枚一枚の画はすぐに忘れ去っていく。が、今でも思い起こすと気持ちが熱くなってくる一枚の鉄道駅風景がある。
春のゆろるりとした日射しが山と海に挟まれた小駅を照らしている。 一番線プラットフォームの古枕木の柵に沿って、十数本の桜樹の根が砂地に食い込んでいた。 黒い武骨な太い幹には緑の苔ガむしている。その幹からてんでに伸びた枝枝には、薄紅色のふうわりとした花の笠が幾重にもかかっていた。ゆるりと過ぎ去りゆく時が、その色にあえかに染まっているようだった。 波音がぞぞぶんと微かに聞こえ、そして蜂の羽音がぶるるん聞こえる。 そやろりと風が吹いて花びらが散る。 赤錆びた線路のバラストが白く染まる。
木造の小さな駅舎のスレート瓦に陽炎が揺らいでいる。 ホーム側にせり出した屋根の下に黒い転轍機が数台並んでいた。 その右から二番目の取っ手にモンシロチョウが一頭止まっている。時折、からんからからと音がする。 木製の改札口の上に掛けられた青い木札、「つぎの上り、2時32分」と「つぎの下り、2時35分」とが風に揺られてぶつかっていた。硝子戸の向こうの駅事務所には。 白髪の駅員が、独りいて、机に向かっている。荷札の整理をしているようだった。 上り、下りとも到着までだいぶ時間がある。長椅子二脚の待合室には誰もいない。 斜めから差し込んできた陽が、煙草の焼け焦げのついた緑色のモケットに当たって、そこに日溜まりを作っていた。
日脚がモケットのはじにかかったころ、突然ちぃん、ちぃんと電鈴が鳴った。駅務室にに置かれた奥行きのある二台の赤い箱。 その一方の通票閉塞機のベルの音だ。 そのとたんに駅員はすくっと立ち上がり、机に置いた帽子をかぶった。そして、足早に機械に取り憑いた。 ハンドルを押したり、電話を掛けたりとせわしない。 その間にもベルが鳴る。寂とした駅の空気がきりりと張りつめる。
硝子戸が開いて駅員が出てきた。肩には、わっか状のタブレットキャリアを掛けている。彼は、きびきびとした足取りで転轍機に向かう。そして、そこにたどり着くと、一台の転轍機を指でしっかりと確認した。彼はとってに手をかけた。そして、それを手前にぐっと引いた。 分銅の付いた金属棒が勢いよく倒れる。その瞬間、倒れた転轍機がバウンドして、がごんごんと地響きを立てる。と、構内に張り巡らされたワイヤーがぐびゅんと唸って、しゅわぁうと鳴り響く。 眠りをむさぼっていた小駅が目を覚ます。唸りが遠のき、やや間があって、ホーム前方の薄緑に包まれたあたりの分岐機の先端軌条がことりと動いた。と、同時に、その脇の白いボールに掛かった腕木信号が水平から斜めにひょるりと垂れた。 彼らはすぐさまホームの縁石に立って右腕をまっすぐに伸ばしその信号を確認し、「進路よぉし」とつぶやいた。 その彼の紺色の制服に花びらが降りかかる。帽子の庇に隠れたくぼんだ目、それが真向いの蒼い海にちらりと向けられる。 その眼差しの果てには、淡い藤色の空が白く霞んだ海と接してぼんやりとした境界線を作っていた。
ずっくざっくと砂を踏みしめて駅員が戻ってきた。ホーム先端のタブレット受け棒に キャリアーをセットしてきたのだ。 彼はホーム中央の定位置について、下り方向を見る。目前の中空にもぅわりとふくらみふくらんだ淡い薄紅の花。 それを切り取っている青空が眩しい。その桜花の向こうにもぞりと動くものが現れた。 茶のチューブ状のものがうねるように走ってくる。蒸気機関車に牽かれた列車だった。太ってきた機関車が進入合図の汽笛を、ぱぉぉ〜と鳴らす。 それが薄緑の色にももえあった右手の山々に来られました。 そして跳ね返ってきた音が花を散らす。その間にも機関車はぐんぐん近づいてくる。レール軋る。機関車がホームにさしかかった時にキャビンから、タブレットが放り投げられる螺旋コイル状のタブレットキャッチャーにそれが掛かってくるりと回る。が、それも束の間のことで、ぐわがうと機関車は吠えながら向かってくる。 駅員はキャビンから目を離さない。しゅるるしゅるしゅると彼の目前を蒸気機関車が走り抜ける。首をくるりと回す。それから何秒も経たないうちに、キャビンのタブレットキャッチャーが受け棒のキャリーをがっしりと捉えた。 続いて後ろに繋がった客車が、きゃたことてんてん、きゃたことてんてんと軽やかな響きを立てて通過する。列車の風圧に煽られて枝枝の花びらが一斉に飛び散り、舞い上がった。そこをてんてんきゃたこと、てんてんと、荷物車がこげ茶の後ろ姿を見せて駆け抜ける。 白い花吹雪が降り濯ぐ中を赤いテールマークがいっさんに過ぎていく。
ホームに直立した老駅員は、遠ざかりゆく上りの後尾をじっと見つめる。それが萌え出した浅黄色の木々の向こうに消えようとする時に、彼の右腕がひょいと伸びた。急行通過の指差し確認。その駅員の背にまた数枚の花びらが、ひらるるひろるると降りかかる。過ゆく時がまたあえかな紅に染まる。
砂地のホーム花びらが白々と散り敷いていた。風が吹いて鉄錆が鼻を衝く。と同時に 花がかすかに匂う……ざざぶんと、波の音がまた聴こえてきた。
（三）
上記文章は、自著『日本鉄道詩紀行』（集英社新書）のエピローグだ。
タイトルは「汽車遠影萌葱に隠れゆく」である。私には忘れ難い汽車風景絵画だ。
（写真は在りし日の下関駅だ）
