2023年01月07日
下北沢X物語(4624)―下北沢は朔太郎の箱庭文学館 2―

(一)表題は、いつもの「ネットへの与太飛ばし」である、すでにネットの海にこれは放り込んでいる。試みにGoogle検索でこのフレーズを入れてみるとワンツーでこれが引っ掛かる。この表題の意図するところはこうである。下北沢近辺には朔太郎が居住していた痕跡、また彼が漫歩したであろう沢や谷、そして路地が残っている。そこに朔太郎の影がリアルに想像できることから、箱庭文学館と名づけたものである。さらに踏み込むならば、彼の文学に土地の文化が影響していないのか?朔太郎を巡る文学論は熱いものがある。しかし土地の関係と文学を論じたものは見当たらない。ところが吉増剛造は土地に特別なにおいを嗅ぎつけている、「下北沢あたりを、朔太郎詩集を持って徘徊したことがたびたびあった。」(「氷島・下北沢」文芸読本 萩原朔太郎 河出書房新社 1977年 という。歩けば、「あの轟々と疾走する『氷島』の詩編」が耳に響いてきたという。
「今回の特別展では来館者も多かったのではないでしょうか?」
世田谷文学館の学芸員に問うた。私が訪れた年末は数名しか人はいなかった。
「例年とそんなに大きくは変わりませんが、今回は若い人の来館がありました」
「萩原朔太郎大全2022」に連携しての立正大での講演でも確かに若い人の姿がみられた。萩原朔太郎を漫画化して描いたものもあるようだ。
立正大学の吉増剛造氏の講演の中で「天井の花」が映画化されて、ここに萩原朔美さんが出演していると聞いていた。私らの仲間も既に見ている人もいた。
「三国港の生活で記憶に残っているのは酒好きの三好達治が『こんな温いお燗は飲めるか?』と言ってとっくりを投げつける場面を覚えていますが、それは出てきますか?」
「ええ、それはありましたよ」
詩人と美人とは相性が悪い、その代表的な場面は見せ場になる。
「現在の『下北沢文士町文化地図』は現在8版ですが残りがなくなってきました。来年は増刷を考えています。イメージにあるのは『下北沢は朔太郎の箱庭文学館』です」
私は学芸員にそんな話をした。
(二)
先に引いた『氷島・下北沢』の冒頭である。
今も萩原朔太郎が下北沢の『四つ辻のポストが立って、煙草屋には胃病の娘が座っている。『猫町』の裏通りを黒いマントを着て歩いている幻影が浮かんでくる。なぜ下北沢になどに朔太郎はやってきたのだろう。萩原朔太郎も不思議な旅をしている。
『猫町』は、世田谷代田で書かれた短編小説である。副題に「散文詩風な小説(ロマン)」と書かれている、虚構作品である。それはもちろん承知はしている。が、一つ一つを見て行くと当地一帯の世界が浮かび上がってくる。
この間、大正大学での講演で、「『猫町』は下北沢だと言ったのは私だ」と詩人。が、たぶんこの一帯のことを知っている人は、下北沢がモデルとなっているのではないかと考える。
我ら十八年前に会を立ち上げたときデザイナーの故東盛太郎さんがいて彼も『猫町』は下北沢だと考えていた。小説『猫町』の「四つ辻のポスト」は重要なキーワードである。それで我らは付近一帯のポストを調べまくった。四つ辻という場合一番ふさわしいのは下北沢一番街の中ほどの十字路である。ここにすずらん堂という文房具を営んでいる店があった。ここでは煙草も商っていた。ところがここにポストはない、東に三十メートルほどいったところに旧北沢局のポストがあった。下北沢の朔太郎旧居から一番近いポストで彼もこれを使っていたと思われる。
『猫町』は虚構である、それらしく作ってある。書き手というのは物語を印象づけるためにさもそれらしく書く。ポストは十字路に置く、そして煙草屋を際立たせるためにそこに胃病の娘が座っていると書く。読み手の気を惹きつけるように書いている。
(三)
言ってみれば小説『猫町」は徘徊小説である、ここには主人公そのものが投影されている。徘徊はさるき歩く、あっちこっちとほっつきあるく、当時まさに詩人はそういう生活を送っていた。それを彼は漫歩と称していた。自宅にこもって筆を走らせることはあまり好きではない、それで付近を徘徊したいた。ここのところが晩年における彼の中心テーマと結びついてくる。それは、さすらいであり漂泊である。これが一帯の地形や路地に結びついてこないか。
〇明日8日、午後、邪宗門に行く予定だ。時間のあるかたおいでください。
先に引いた『氷島・下北沢』の冒頭である。
今も萩原朔太郎が下北沢の『四つ辻のポストが立って、煙草屋には胃病の娘が座っている。『猫町』の裏通りを黒いマントを着て歩いている幻影が浮かんでくる。なぜ下北沢になどに朔太郎はやってきたのだろう。萩原朔太郎も不思議な旅をしている。
『猫町』は、世田谷代田で書かれた短編小説である。副題に「散文詩風な小説(ロマン)」と書かれている、虚構作品である。それはもちろん承知はしている。が、一つ一つを見て行くと当地一帯の世界が浮かび上がってくる。
この間、大正大学での講演で、「『猫町』は下北沢だと言ったのは私だ」と詩人。が、たぶんこの一帯のことを知っている人は、下北沢がモデルとなっているのではないかと考える。
我ら十八年前に会を立ち上げたときデザイナーの故東盛太郎さんがいて彼も『猫町』は下北沢だと考えていた。小説『猫町』の「四つ辻のポスト」は重要なキーワードである。それで我らは付近一帯のポストを調べまくった。四つ辻という場合一番ふさわしいのは下北沢一番街の中ほどの十字路である。ここにすずらん堂という文房具を営んでいる店があった。ここでは煙草も商っていた。ところがここにポストはない、東に三十メートルほどいったところに旧北沢局のポストがあった。下北沢の朔太郎旧居から一番近いポストで彼もこれを使っていたと思われる。
『猫町』は虚構である、それらしく作ってある。書き手というのは物語を印象づけるためにさもそれらしく書く。ポストは十字路に置く、そして煙草屋を際立たせるためにそこに胃病の娘が座っていると書く。読み手の気を惹きつけるように書いている。
(三)
言ってみれば小説『猫町」は徘徊小説である、ここには主人公そのものが投影されている。徘徊はさるき歩く、あっちこっちとほっつきあるく、当時まさに詩人はそういう生活を送っていた。それを彼は漫歩と称していた。自宅にこもって筆を走らせることはあまり好きではない、それで付近を徘徊したいた。ここのところが晩年における彼の中心テーマと結びついてくる。それは、さすらいであり漂泊である。これが一帯の地形や路地に結びついてこないか。
〇明日8日、午後、邪宗門に行く予定だ。時間のあるかたおいでください。



















