2023年01月08日
下北沢Ｘ物語（4625）―下北沢は朔太郎の箱庭文学館 ３―
（一）萩原朔太郎は大正一四年に前橋から上京してきて大井町に住んだ、この居住地を何度も調べに行った、そのときのことを「近代の歌枕大井町」と銘打ってネットに載せている。これも検索で引くと上位ワンツーで出てくる、なんと一五年前のことだ。このときに伊藤博文公墓所前の米屋さんに話を聞いた。「朔太郎の住まい探しね、何年かおきにそういう人が訪ねてくるんだ」と。わずか三月ほどの居住だが信奉者やファンが尋ねてくるらしい。ということは終焉の地詣では相当数の人が来ているのではないか、「代田の丘の６１号鉄塔」という碑版を北沢川緑道に設けているがここも多くの人がひそかに訪ねてきている。箱庭文学館の最大のポイントである。最近知ったのがこの鉄塔は「立ち上げ鉄塔」と称することだ。ここから地下ケーブルが延びている、この鉄塔は尾根の取っ付きに建っている。地形的な必然性があって設けられている。竹の根のように生えている地下ケーブル、特異な感性を持つ詩人はこれを透視していたのではないかという妄想を持った。
下北沢、代田、朔太郎は十一年に亘って住んだ、大きな仕事は『氷島』の編集だろう。昂揚に満ちた「自序」から始まる、「近代の叙情詩、概ね皆感覚に偏重し、イマヂズムに偏重し……」と強烈な近代詩批判に始まる。吉増剛造氏もこれを愛唱しているとのこと、聞こえぬ音楽がここに響いているというようなことを言われた。
この「自序」には末尾に「昭和九年二月 著者」とある。すなわち「世田谷区代田一丁目六三五番地」の新居、その書斎で記されたものだ。時間は記されてはいないが夜であろう。自序から引用する。
著者の過去の生活は、北海の極地を漂ひ流れる、侘しい氷山の生活だつた。その氷山の嶋嶋から、幻像のやうなオーロラを見て、著者はあこがれ、悩み、悦び、悲しみ、且つ自ら怒りつつ、空しく潮流のままに漂泊して来た。
萩原朔太郎 日本詩人全集１４ 新潮社 一九六六年
詩人は思念を巡らせながら描いたに違いない。「幻像のやうなオーロラを見て」と言う、彼詩人は「自序」最末尾に「読者は聲に出して讀むべきであり、決して默読すべきではない。これは『歌ふための詩うた』なのである」と述べる。
（二）
声に出して読む、すると青白いオーロラが浮かび上がる、と同時に聞こえぬ音楽が聞こえてくる、抑揚を持った音調である、即座に連想したのは、鉄塔音楽である。
ふと思いついて、大正六年十二月、「陸地測量部」発行の古地図を見る、すでに高圧鉄塔線が描かれている、この当時ではいわゆる桂川電力線である、山梨県の桂川で起こした電気を六郷変電所まで持って行くものだ。現今の鉄骨鉄塔は昭和元年建立である、が、敷設ラインはほぼ同じである。
古地図だと地形がよく分かる、現今の代田の丘６１号鉄塔は、東南方向に延びている舌状台地の頂部に建てられている。立ち上げ鉄塔がここに建てられた理由も地形からするとよく分かる。舌状台地頂上に建った鉄塔は自然の影響を受ける、それは風である、詩人が自序を書いたのは二月だ、北からの季節風が鉄塔線を鳴らした。線は弦である、この線は十二本ある、南に下ると世田谷線にぶつかるここからは線は六本になる。すると鉄塔の高さが違ってくる。北から来た高圧線は世田谷線、昔でいえば玉電高井戸線に電気を供給していて電車線に電気を届けるから高圧線の本数は減る。
弦の数が十二本と六本では鉄塔音楽は違う音色を奏でる、代田の丘６１号鉄塔は、尾根上にあって高い音を鳴らしていた、詩人はそれを聞きながら自序を描いた、と、思うとおもしろい。
（三）
鉄塔は音楽を奏でるだけではなく色をも放った青白い火花である、言えば、『青猫』である、暮れに世田谷文学館の朔太郎展に行って、「ああ、そうだったのか」と思ったのは『定本青猫』が昭和十一年に発行されていたことである。世田谷代田に居住していたときいのものだ。主軸は六枚の挿絵である、明治十七年の発行のものだ。この最初が「停車場之図」である。気づかぬことだが、停車場にこそ詩が潜むということを述べている。近代詩論の素晴らしい発見だと私は思う。
（今日昼間撮った「代田の丘の６１号鉄塔」）
