2023年01月11日

下北沢X物語(4627)―2023"初春文化談義 IN 邪宗門 2―

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(一)邪宗門でデレクターに聞かれたのは、「地形と文化との関係性はありませんか?」と。「大いにありますね」、作家の井上光晴は下北沢に一時住んでいた、「下北沢は下宿と定食の街」と評しています。一帯には下宿屋が多く学生と若い勤労者が多くいました。下北沢は沢の街、川の支流が流れ込んでいます。川があれば丘がある、丘は高級住宅街です、一方の川筋は地下が低廉です、そこに住んでいる人が下宿屋を営んでいました。彼ら相手に定食屋が繁盛しました。もちろん学生相手だから食堂は低廉でした……鉄道のクロスは魅力でしたね、学生や若い勤め人が多くいました。かつては寮の街でしたね。これらはやはり地形に関係してきますね……」

「『大当たり三色娘』という映画があります。東宝初のシネマスコープ作品ですね。昭和32年封切りだから映画全盛時代ですね、この映画の冒頭は、下北沢駅前市場になっています。三人娘は美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミですね、彼女等は若い女中さん、駅前市場に買い物にくるわけですね、駅近辺は沢筋、家は丘上にあってお金持ちなんですよ。当地の文化を巧く利用していますね」
 
「一番街に大月菓子店というのがありました。今はもうありません、あの商店街は庶民の町なんですね、北側の裏手がお屋敷街、そこに画家、たしか前田青邨といったな、娘さんがお嫁になって越してきたんです、その娘さんがうちに来るのですがお金の使い方をしらないのですね、本当の箱入り娘だったといいます。大原の方から来る道は古いのですね、ちょうど沢筋にあるでしょう、あそこは川だったのです……」

(二)
「できればお茶のことも取り上げたいのですよ」
 下調べがしっかりできているようだ。明治になって政府は、殖産興業政策の一環として茶業振興に力を注ぐ、それで一帯はお茶が盛んになって、丘上は茶園として開墾された、斎田家や阿川家である。近くの斎田記念館は茶業史の展示場だ、その口ぶりからすると下調べは済んでいるようだ。

明治期以降、様々な産業が興ってくる、農業も変革を迫られた。明治政府は殖産興業の一つとして茶業への転換を推進した。代田斎田家はこれに本格的に取り組んだ。製茶法を学んだり、技術改良に取り組んだりして生産性は上がり、齋田茶は内国勧業博覧会や万国博覧会で入賞するなど高い評価を受け、輸出も行った。

「ここらへんの丘一帯は皆茶畑になりましたね。ところが明治二十二年に東海道線が全通するのですね、すると関西から宇治茶などが大量に入ってきてたちうちできなくなって辞めてしまうんですね。それで大根畑とか竹の子畑になってしまうんです……」
 昭和になって小田原急行鉄道が開通すると今の世田谷代田駅そばに帝国音楽学校ができる。大根畑にニョッキリと現れた二階屋に人々は目を見張った。

(三)
 今日は、誘われて代田連絡線跡の探訪してきた。取り敢えず回ってかつての下北沢3号踏切そばの静泉閣跡に行ってみた。
「ここに下北沢静泉閣というのがあったのですよ。この桜の樹の下にお地蔵さんがあったのです……
 
 街は変転し変化する、夢を見ているようだった。駐車場だった下北沢仙泉閣跡にはビルが建ち、何度も通った近くの佐山一雄邸の日本家屋は更地になっていた。(写真は代田連絡線新代田側の分岐点を眺める)



rail777 at 18:30│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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