2024年05月07日
下北沢X物語(4937)―小さな歴史真実を求めて 2―

(一)長年、小さな歴史真実を追い求めてきた、私のこの一断面を描いている人がいる。宮崎神宮の禰宜職に就いておられる黒岩昭彦氏である、「ある初老男性の宮崎神宮参拝に始まる」(『米良の桜』)と彼は逸話を紹介している。端的に言えば自身の訪問によって神社二千年の歴史の一端を覗き見ることができたと。常々自身は、事を秘かに行うことを心掛けている。昨日、呑川緑道を歩いていると、「あんたよくやるね、ここのヤブカラシをいつも黙々と引っこ抜いているでしょう!」と御大は言う、お忍びでの所業がついにバレたか?と思った。何を隠そう、自称、呑川緑道(写真)ヤブカラシ退治隊の隊長である、部下はいない。ただひたすら緑道の景観を汚しているツルを退治して回っている。習性は恐ろしい、気づくと個人宅の垣根から伸びているこれを懸命に引っこ抜いていた!
その御大は、昭和19年4月生まれ、ついに80歳になったばかりだという。
「それは素晴らしい、70歳を越えるのは第一関門、第二関門は80歳なんですよね」
「いや、まったくそうだね、やっぱりどう生きるかだね、ヤブカラシを取っては散歩する、素晴らしい健康法だね」
彼とは立ち話をした。言葉を交わすことで人の生きざまがわかる。彼は人生をおもしろがって生きている、これは必須のことだ、おもしろがれば面白くなるのである。
私は、日々歩きながら考えごとをしている。その場合、過去に蓄積した記憶を材料に思いに耽る。
長年、疎開学童と接した特攻隊のことを調べてきた。公的記録はほとんど残っていない。主には疎開学童が残した手紙や日記、そして聞き取りを軸にしてきた。核となる疎開学童も年老いてしまい、新たに話を聞くことも少なくなった。
ただ最近では、新たな情報は得られないがこれまで蓄積してきたことに重要なヒントがあると思うようになった。
(二)
例の、小柳の湯隊である。松本を飛び立ち、九州新田原飛行場に着いた。どうしてそれが分かるか、彼らが宮崎県佐土原市の旅館から手紙をくれたからである。この宿泊地にも意味がある。陸軍新田原飛行場は辺鄙なところにある、ここで宿泊する場合は、飛行場の宿泊施設で泊まる。それは八紘荘と言った。
4月3日、武剋隊後半隊はここから特攻出撃している。同じ浅間組の特攻隊がいた。武揚隊である、彼らは八紘荘に泊まっていた。武剋隊も同じ宿舎だった。特攻隊には扱いに差がある。実は、武剋隊も武揚隊も大本営直轄部隊である。特別な厚遇を受けているのである。ゆえに新田原に来たら八紘荘に泊まるはずだ。
小柳の湯隊は厚遇はされていない。実は、武剋隊も武揚隊も機付き整備兵がいた。おおよそ各機一名である、専属の整備兵である。
小柳の湯隊は、どこから来たか。満州第二航空軍から来ているものだ。先に満州から葉書が舞い込んできたと述べたが、発信地には「満州第一五三五部隊佐々木隊」とある。この部隊はどこにあったかというと満州平台である。驚きだ。
(三)
平台は満州第23教育隊があった。武剋隊と武揚隊とが特攻隊として選抜された隊である。この平台には何があったか、飛行場と飛行機と燃料である。実は,日本本土から大勢の航空隊員がここに来ているのである。本土からの経路は大概が関釜連絡船である。船に乗って彼らは来ていた。
なぜ来たか、練習できる飛行機があった。それと燃料があったからである。本土には機も燃料もない。飛行兵にとって大事なのは、実機に乗って訓練を行うことだった。小柳の湯隊は浅間温泉に来ているが実は平台を発してきていたのである。(世田谷公園)
例の、小柳の湯隊である。松本を飛び立ち、九州新田原飛行場に着いた。どうしてそれが分かるか、彼らが宮崎県佐土原市の旅館から手紙をくれたからである。この宿泊地にも意味がある。陸軍新田原飛行場は辺鄙なところにある、ここで宿泊する場合は、飛行場の宿泊施設で泊まる。それは八紘荘と言った。
4月3日、武剋隊後半隊はここから特攻出撃している。同じ浅間組の特攻隊がいた。武揚隊である、彼らは八紘荘に泊まっていた。武剋隊も同じ宿舎だった。特攻隊には扱いに差がある。実は、武剋隊も武揚隊も大本営直轄部隊である。特別な厚遇を受けているのである。ゆえに新田原に来たら八紘荘に泊まるはずだ。
小柳の湯隊は厚遇はされていない。実は、武剋隊も武揚隊も機付き整備兵がいた。おおよそ各機一名である、専属の整備兵である。
小柳の湯隊は、どこから来たか。満州第二航空軍から来ているものだ。先に満州から葉書が舞い込んできたと述べたが、発信地には「満州第一五三五部隊佐々木隊」とある。この部隊はどこにあったかというと満州平台である。驚きだ。
(三)
平台は満州第23教育隊があった。武剋隊と武揚隊とが特攻隊として選抜された隊である。この平台には何があったか、飛行場と飛行機と燃料である。実は,日本本土から大勢の航空隊員がここに来ているのである。本土からの経路は大概が関釜連絡船である。船に乗って彼らは来ていた。
なぜ来たか、練習できる飛行機があった。それと燃料があったからである。本土には機も燃料もない。飛行兵にとって大事なのは、実機に乗って訓練を行うことだった。小柳の湯隊は浅間温泉に来ているが実は平台を発してきていたのである。(世田谷公園)



















