2024年05月10日
下北沢X物語(4940)―朔太郎忌日に「猫町」を歩く 2―

(一)終焉の地は一箇所しかないと述べている。これが意味するところの肝要な点は「生々しい」ということである、つまりは晩年の彼の姿が具体的に想像できる場面が方々にあることだ。詩人の住まいの側には鉄塔があった。青空を穿つて聳え建つ銀色のこれは「快適な微笑を与えるもの」(『新しき欲情』)と詩人は言う、一方娘の葉子には不安を萌すもの、「あの鉄塔で感電死するのが運命」(『蕁麻の家』)と述べる、これこそが「代田の丘の61号鉄塔」である。これは世田谷区地域風景資産として申請し認められたものだ。この鉄塔、風が吹けば風切り音が鳴る、またジィジリと火花をも放つ、青猫である。かくのごとく終焉の地には生々しい痕跡が今もある。『猫町散歩』のハイライトである。
1942年5月12日、葬儀が自宅で挙行された。大勢の詩人が参列したという。病を押して出席したのは無二の親友室生犀星である。彼の自宅の目印となった鉄塔、そこから家へは急坂を下る、人に支えられて下ったのだと思う。新築したときも呼ばれて彼はここへ来ている。葬儀のときにこの家は苦労して作ったのだと言っていたという。
娘の葉子は、家の下には川が流れていてこの瀬音が耳に入ったと言う。人がしゃべっているように聞こえたと。朔太郎の故郷の川は「広瀬川」だ。これを描いた『抒情小曲集』には
広瀬川白く流れたり
時さればみな幻影は消えゆかん。
ひとが喋るように聞こえる川音を詩人は世田谷代田で聞いていた。広瀬川が想起されただろうか。北沢川である。
(二)
没後80年「萩原朔太郎大全」の記念映画として「天上の花」は制作された。世田谷代田での恋模様、人間模様がポイントとなるが、それがどう描かれたのは分からない。
萩原葉子『天上の花』の一節だ。(講談社文芸文庫 1996年刊
出発の三十日の朝、母があまり気を揉むので私は気おくれがしたが、思い切って発った。途中で空襲に遭ったらと、そればかり案じたが運を天に任せた。
期日は、朔太郎の二周忌を終えた5月30日のようだ。世田谷代田の家を出たというとだ、誰かというと文中では慶子となっている。萩原朔太郎の妹アイである。
この話も朔太郎の葬儀にまつわるドラマである。葬儀委員長を務めたのが佐藤惣之助である。ところが彼は、葬儀の三日後5月15日に急死をしてしまう。この連れ合いが慶子である。この彼女をこそずっと前から思慕していたのが三好達治だ。連れ合いを失った彼には好機であった。昔昔、馬込時代に萩原アイに求婚していた、が、貧乏人の詩人には娘はあげられないと断られた。
妻子ある身の三好達治は、ここで打って出た。再度の求婚だ。が、アイの母親は反対だった。ここのいきさつは現実と虚構とが入り混ざっている。
萩原葉子は、この場面を「逃避行−慶子の手記−」と書き表す。
三好があまり熱心に愛を告白するので、私は遂に三国行きを決心した。
佐藤惣之助が急死をする、その妻、アイは実家である世田谷代田の家に戻ってくる。
母は三好のもとに行くなという、アイは求愛を受けて心揺れる。世田谷代田を舞台とした愛憎劇であるが、多分それは語られていないだろう。
朔太郎の葬儀、それを取り仕切った佐藤惣之助、残されたアイを巡る愛の物語である。
朔太郎の死をきっかけとしたものだ。
(三)
佐藤惣之助の葬儀が『天上の花』では描かれる。
惣之助の葬儀は洗足池の自宅で行われた。
数年来、この自宅は探し歩いている。その所番地は分かっている。雪ヶ谷四〇一番地
である。家のあったところはほぼ分かっている。詩人の長�鸚胸劼發海硫箸剖遒韻弔韻討い襦�「薔薇が二株たくさんの花を咲かせている」(『かく逢った』)と書いている。萩原葉子も「柩の中にバラの花に飾られいる詩人」と描く、萩原家を代表して納棺には立ち会ったのだろう。「葬儀は洗足池の自宅」というのは半ば『天上の花』が半フィクションであるからだろう。家は雪谷にあったとは書けなかったように思う。
朔太郎の葬儀、佐藤惣之助の急死、三好達治の求愛、慶子の世田谷中原から三国への旅立ち……これを紹介することはなかなか難しい。
ちょうど今は、どこへ行っても薔薇の花盛りだ。(写真は吞川緑道沿い、富士は深沢園芸高校裏手から、今日)
没後80年「萩原朔太郎大全」の記念映画として「天上の花」は制作された。世田谷代田での恋模様、人間模様がポイントとなるが、それがどう描かれたのは分からない。
萩原葉子『天上の花』の一節だ。(講談社文芸文庫 1996年刊
出発の三十日の朝、母があまり気を揉むので私は気おくれがしたが、思い切って発った。途中で空襲に遭ったらと、そればかり案じたが運を天に任せた。
期日は、朔太郎の二周忌を終えた5月30日のようだ。世田谷代田の家を出たというとだ、誰かというと文中では慶子となっている。萩原朔太郎の妹アイである。
この話も朔太郎の葬儀にまつわるドラマである。葬儀委員長を務めたのが佐藤惣之助である。ところが彼は、葬儀の三日後5月15日に急死をしてしまう。この連れ合いが慶子である。この彼女をこそずっと前から思慕していたのが三好達治だ。連れ合いを失った彼には好機であった。昔昔、馬込時代に萩原アイに求婚していた、が、貧乏人の詩人には娘はあげられないと断られた。
妻子ある身の三好達治は、ここで打って出た。再度の求婚だ。が、アイの母親は反対だった。ここのいきさつは現実と虚構とが入り混ざっている。
萩原葉子は、この場面を「逃避行−慶子の手記−」と書き表す。
三好があまり熱心に愛を告白するので、私は遂に三国行きを決心した。
佐藤惣之助が急死をする、その妻、アイは実家である世田谷代田の家に戻ってくる。
母は三好のもとに行くなという、アイは求愛を受けて心揺れる。世田谷代田を舞台とした愛憎劇であるが、多分それは語られていないだろう。
朔太郎の葬儀、それを取り仕切った佐藤惣之助、残されたアイを巡る愛の物語である。
朔太郎の死をきっかけとしたものだ。
(三)
佐藤惣之助の葬儀が『天上の花』では描かれる。
惣之助の葬儀は洗足池の自宅で行われた。
数年来、この自宅は探し歩いている。その所番地は分かっている。雪ヶ谷四〇一番地
である。家のあったところはほぼ分かっている。詩人の長�鸚胸劼發海硫箸剖遒韻弔韻討い襦�「薔薇が二株たくさんの花を咲かせている」(『かく逢った』)と書いている。萩原葉子も「柩の中にバラの花に飾られいる詩人」と描く、萩原家を代表して納棺には立ち会ったのだろう。「葬儀は洗足池の自宅」というのは半ば『天上の花』が半フィクションであるからだろう。家は雪谷にあったとは書けなかったように思う。
朔太郎の葬儀、佐藤惣之助の急死、三好達治の求愛、慶子の世田谷中原から三国への旅立ち……これを紹介することはなかなか難しい。
ちょうど今は、どこへ行っても薔薇の花盛りだ。(写真は吞川緑道沿い、富士は深沢園芸高校裏手から、今日)



















