2025年03月07日
下北沢Ｘ物語（5133）ー文士町文学論と堀田善衛 3ー
(一）『若き日の詩人たちの肖像』は、青春小説だ、主格を少年と言ったり、男と言ったり若者と言ったり、自分では制御できない若き日の私が思われた。若者は素晴らしく知的である、原書で本を読んだり、楽譜を読書したり、知性の肥やしが違うと思った。渋谷の下宿から下北沢のアパートに居を変える。感性の鋭い若者はこの地のにおいを嗅ぎ取っていた。それは沢である。彼は「下北沢のガード近くの地勢」が当地に雑多な人間を集めたと。
沢の底辺は家賃が安い、その若者を商売にする飯屋は定食も安い、が、そこは獲物が集まってくる猟場でもあった。街角の電柱の陰に目を光らせている連中がいた。なるほど、鉄道交差は利点だ、公安から逃げるときに便利である。
『若き日の詩人たちの肖像』は、若者がどう生きたかを明かすものでもある。その点、ヰタセクスアリスは若者には大きな問題である。彼はこのことについてこう記す。
このシャカイでは、性のことに道徳がつきまとわず、田舎でそうであるように、また古い日本でそうであったように、性のことが慮外にあっさりと扱われていて、陰湿ではなくまた猥談がしばしば交わされるにしても、その在りようは挑発的ではなく、たっぷりとしいて豊かであることも有り難い、稀なことであった。東京の山の手や大森あたりの上流階級の社会は、あれは社会というものではない、というのが少年の考えであった。
『堀田善衛全集』７ 『若き日の詩人たちの肖像』筑摩書房 一九九三年刊
今を生きている若者の性に対する考えだ。男女がいちゃいちゃすることに対して自身が属している階級では道徳がつきまとわない、この引用の前に物語では少年の初体験が語られていた。父と馴染みの芸者が少年を招いて寝るについて「さ、関係しましょう」といわれて交渉をした。まさに「慮外にあっさり」である。
下北沢のアパートでは、M大学の金持ちの、朝鮮出身の彼は、「コノオンナ、カシタルカ」といってあっさりと提供してくれた。
一方である、大森の大邸宅に住む自分の知り合いは女中とできていて、そして秘密部屋でエロ本をこっそり見ていた。上流階級の性は陰湿だ。
若者は、下流と上流に社会を分けてみていて、自分が道徳がつきまとわない自由な世界にいると考えていたのではないか。
（二）
彼が住むガード近くの二階建てアパートである。
下北沢の、このガードに近い二階建てのアパートには、女給、お妾さん、大学に行っていない学者、下っ端の映画俳優、中国人の留学生などのあまり身分の確かではない連中が多かったのである。あまり身分のたしかではない連中が多かったのである。その中で、K大学生という、どうやら身分のたしからしい若者に、管理人はしばしばそのことをくどきかけ、
『堀田善衛全集』７ 「若き日の詩人たちの肖像」
一九四十年代の近隣に林立するアパートの様相を分析していて興味深い。雑多な階層の人々がここにうごめいていた。新宿あたりに勤めている安キャバレーの女給か、お妾さんは、この一帯はどこもここも多かった。
このアパートは茶沢通りに近い。しかしこの通りは戦後にできた通りだ。もう一本西側の通りの方が古い。いまはあずま通りと呼んでいる。ここに実家があったのは鉛筆部隊の田中幸子さんだ。戦後は二間を人に貸していたが両方とも住んでいたのはお妾さんである。
「ムラムラッとしたときにどこからでも素早くこられるのが鉄道交点ですよ」
そんな説明をするがあまり人は納得顔をしない。
大学に行っていない学者もおもしろい、学識のある人が住んでいた。アルバイトか何かで糊口をしのいでいたのだろう。存外に外国文学の達者がいた。ドイツ語でも英語でも堪能だった。
下っ端の映画俳優、なるほど、これは戦後だが下北沢駅の北口を行ったところに東宝の大部屋の映画俳優が住む寮があった。
「玄関は、いつもね、下駄とか、靴とかが散らばっていたのよ……」
中国人留学生、韓国人も台湾人もいた。下北沢のとなりの世田谷中原には帝国音楽学校があって、ここに海外からの留学生が来ていた。
（三）
一九四十年代、当地にはそこここから集まってきた雑多な人がアパートや下宿にひしめいて住んでいた。もちろん詩人志望の学生も、が、大学を出ても勤め先がなかった。それで昼間から麻雀をやったり、ときに文学論を語ったり、ここにも特高の刑事がきていたのだ。
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