2025年03月16日
下北沢X物語(5139)―下北沢の堀田善衛 2―

(一)「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤」と宮崎駿は評している。彼の感性は多角的だ、実家は高岡伏木の廻船問屋だったという。海を通して外界を見ていた。ロシア船に飼い犬が乗って行った、数ヶ月にぶりに帰ってくると尻尾を振ってロシア語で吠えたという。連綿と続く逸話には舌を巻く、階層に分け隔てがない。下北沢のアパートには雑多な人種がいた。女給、娼婦、異国のレスラー、彼らに交じって感性を磨いた。ドブが臭う沢にアパートはあったようだ、この文士町でどう暮らしたのか、興味が尽きない。
堀田善衛は「一九三六年から四二年までの学生であったときの七年間に、十六回ほどの転居」を行った。後に十数年経って、その跡を彼は訪ねた。下北沢では三回の転居を重ねた。
代々木から下北沢で三ヶ所。このうち、アパート二軒は完全に残っていて一軒は帝国石油北沢寮ということになってい、もう一軒は、傾斜地に一軒一軒が段々にたった。その頃としては極めて新しい形式の�猜顕愁▲僉璽鉢瓩半里気譴討靴�るべきものであった。
堀田善衛全集 14 所収「私の引っ越し東京地図」一九九四年 筑摩書房
この記述から、ああ、あそこはと思い当たるところがあった。当時北沢と称していたところは代沢となったと彼は言っている。広範囲に越したのではなく、近隣で越したのではないか、具体的には代沢二丁目が浮かんでくる。
下北沢には会社の寮がかつては多くあった。帝国石油は、二〇〇六(平成一八)年に国際石油開発と経営統合している。遠くない昔なので北沢寮は特定できそうだ。
次の10版には、堀田善衛旧居はマークしたい。帝国石油北沢寮は容易にみつかるのではないか。
(二)

堀田善衛が記述している文化アパートは、分かっている。現行9版には「北沢文化住宅跡」と記している。数日前、その跡に行ってきた。今は新しいアパートが建っている。
この文化集宅については、2018年04月19日に、下北沢X物語(3503)―下北沢「北澤文化集宅物語」―として掲載している。
「北澤文化集宅」は、デザインや設備、内装などかなり凝っていた。これはアパートだが、オシャレなコンドミニアムだった。俳優、作家、デザイナーなどが住んでいたという。ここを舞台とした映画を撮りたいとの話もあったようだ。既に撮られた映画でのカットでは幾つかの映画に出てくると。この集宅は戦前からあったという。
この集宅、古い地図で確認してみる。「住宅地図1962年(昭和37年)版」にはちゃんとある、北沢二丁目二四二番地である。区画が「イ」と「ウ」に別れている。三百坪ほどだった。
ここに住んでいたのは牟田敬之さん、写真家だ、ご自分で撮った写真を持って来られた。それを見るとコンクリート二階建てだ、真四角ではなく楕円を間に入れたりしてデザインと意匠に工夫が凝らされている。場所的には丘上に掛かるところだ。
「いつごろに建ったのですか」
「戦前だね、たぶん昭和十、四五年だと思う」
これは一緒についてこられた兄の、敬武さんの話だ。
「うろおぼえだが、松書房の編集長だったかそこの誰それがヨーロッパに渡って建築事情を見てきたらしい、それでスペイン風の建築で作ったのだと……」
(三)
現行跡地には、全く別のアパートが建っている。この辺りは高台だ、今はすっかり緑が失われているが、ここら一帯は、森厳寺川左岸、崖線である。かつては赤松が多く生えていた。
先の二階建てのアパートは、沢沿いに建っていた。庶民が居住するアパートだった。が、一方、文化集宅は居住者が違う、文化人が住んでいた。ここに彼が引っ越したのは収入が入るようになったからだ。
(写真の建物は旧文化集宅跡だと思われる)



















