2025年03月21日
下北沢X物語（5142）―下北沢の堀田善衛 5―
（一）堀田善衛を通して文学なるものを学んだ、文学とはその時代、時代の真実を作者の感性によって鮮やかに描き出すものである。それは人々がその時代に生きた記録である。堀田作品で感心するのは時代、時代相が逸話で切り取られていることだ。彼は原宿にいた。そのとき近くに広大な陸軍大将の屋敷があった。いざという時に役立つ小部屋が沢山あったと。戦後泥酔して目覚めると迷路のような小部屋があった。そこで気づいたのはその陸軍大将邸であったことだ。「禁衛禁断の家」、「陸軍大将邸から朝鮮人所有のツレ込み宿へ」。「これほど時の移り変わりを感じたことはない」（『私の引っ越し東京地図』）と。
この大将は、「二・二六事件にも深い関係がある人であり、銃殺された被告たちの恨みをかっている、といった話もあった人」と堀田は語る。いわゆる統制派側だろう。
この二・二六事件は、彼、堀田にとっては大事件だった。彼はこの前日の二十五日に故郷から上京した。『若き日の詩人たちの肖像』の冒頭に描かれるエピソードである。「東京のＫ大学予科の試験を受けるため」である。この夜に彼は九段会館で行われた交響楽団の音楽会に行った。「その演奏を聴いているうちに、ついその音楽の中に、からだごとまきこまれた」、陶酔したのである。（『若き日の詩人たちの肖像』）ところが、翌日のことだ。
すぐ近くの軍人会館が戒厳司令部になったということは、昨夜、あそこでボレロ
と第五交響楽を聴いたというのに一夜明けて、たちまちまさにその同一の建物が戒厳令とかいう。天皇の命令を執行する血に染んだものになったということである。
この場合、主人公は少年と描かれる。音楽に酔い痴れて、いくらも経たないのに音楽会のあった同一の建物が戒厳司令部になった。少年の心はどんなにかざわめいたことだろう。
（二）
そういえば昨日通った。「東京市世田ケ谷区上馬一丁目八六六番地」である。
だいぶ前にこの近辺で「上馬うなり石」を探したことがある。地元の人に聞いたが分からない。
「うなり石のことは知らないけれど二・二六事件首謀者がすぐそこに住んでいたのは知っているよ」
そう言われて教えられた。安藤輝三大尉の旧居である。記述した住所だ。
もうあれから十年が経つ。ここの住まいのことは近隣を通るご老体は皆知っていた。
しかし、この頃では新住民も増えて多くは知らない。
二・二六事件もあらかた忘れられようとしている。しかし、歴史をたどると蹶起隊に連なる兵達は、冷遇された。陸軍中央は、皇道派青年将校が多く所属していた第一師団を東京から満州に移駐することを決定した。さらには戦争末期、南洋戦線に派遣された。ここで玉砕した隊も少なくない。
（三）
日々散歩は欠かさない。今日は、よく行く洗足池に行った。ここも堀田善衛因縁だ。彼の作品に『方丈記私記』がある。これは知ってはいたが触れたことはなかった。
堀田善衛の下北沢在住を発端にして彼の作品に触れるようになった。ああ、確か、『方丈記私記』があったなと思った。私は中世文学専攻だった。
と、この冒頭に「二十年三月九日夜、私は詩人であるＫ君の疎開先に厄介になってていた」とあり、そこは「目黒区洗足だった」とあった。
（二枚とも今日の洗足池だ）
