2025年03月31日

下北沢X物語(5149)ー北沢川文化遺産保存の会会報第225号ー

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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第225号    
           2025年4月1日発行(毎月1回発行)
    北沢川文化遺産保存の会  会長 谷亀 �冢�
               事務局:珈琲店「邪宗門」(水木定休) 
       155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
                 会報編集・発行人   きむらけん
          東京荏原都市物語資料館:https://rail777.livedoor.blog/
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1、江戸氏と世田谷       木村康伸     
                                      
 皆さんは江戸氏のことをご存知だろうか。実は世田谷にも関わりの深い一族である。
 もとは桓武平氏の流れを汲む秩父氏の出身であるが、平安時代に武蔵国豊島郡江戸郷を領して名字の地とし、江戸氏を名乗るようになる。
 江戸氏は当時の武蔵国の交通の要衝である隅田の渡しも掌握していた。ここは古代東海道が隅田川を越え、武蔵国千束郷石浜に着岸する地点で、江戸湾内の漁船や太平洋海運で航行してきた西国の舟が集まる港であった。江戸氏はこれらを管理する海の領主でもあった。そして、水陸交通を通じて集中する多くの富を得たことで平安末期の当主であった太郎重長は「関東一の大福長者」と呼ばれていた。
 さらに南北朝・室町時代になると、一族の庶流が鎌倉公方の奉公衆となって活躍した。室町時代初めに記された「江戸名字之書立」という史料には、中野・阿佐ヶ谷・飯倉・桜田といった現在の東京都内の各地域を名字とする一族の存在が確認でき、六郷・蒲田・鵜の木といった荏原郡内にも庶流が見える。この時代の江戸氏は豊島郡から荏原郡周辺まで勢力範囲を拡げていたことが窺える。
 ところがその後、関東管領上杉憲顕と対立した「平一揆」に参加し敗れたことで惣領家が没落してしまう。そして、江戸の地を離れることを余儀なくされる。
 そこで惣領家が頼ったのが、武蔵国木田見郷(現在の世田谷区喜多見あたり)を本拠としていた木田見氏であった。木田見氏は「関東一の大福長者」と呼ばれた太郎重長の次男・武重を祖とする。
 この木田見郷の江戸氏はやがて世田谷城城主・吉良氏の家臣となり、水運に長けた一族として活躍していく。また、江戸氏は小田原北条氏にも仕え、豊臣秀吉の小田原征伐の際の当主江戸勝重は小田原城に立て籠もり秀吉の軍勢と戦ったが、落城後、木田見郷に潜伏した。
 その後、勝重は徳川家康の旗本となったが、家康の新しい居城の名と同じ「江戸」の称を名乗ることを憚り北見(後代に喜多見の字を充てる)と改姓、諱も勝忠に改めた。そして大坂の陣などで戦功をあげたのち堺奉行を勤め、さらに摂津・河内・和泉の国奉行も兼ねて畿内の幕領支配に手腕を発揮した。また、武家茶の第一人者である古田織部から茶湯を習い、喜多見流茶道の基礎を築くことにもなる。
 勝忠の孫・重政の代には五代将軍綱吉の側用人となり、ついには二万石の大名にまでのぼりつめ、喜多見藩藩主となる。この喜多見藩は、現在の東京二十三区内で唯一大名の陣屋のある藩であった。しかし一六八九(元禄二)年、一族の刃傷事件に連座し、喜多見氏は御家断絶となってしまう。
 徳川幕府に仕えてからの江戸氏(のちの北見氏・喜多見氏)のめざましい活躍を見れば、ここで喜多見氏が御家断絶になったのは実に惜しいことだ。その後も発展を遂げていったであろう喜多見氏の姿を是非見てみたかったものである。
 しかし、今も世田谷区喜多見の地を訪れれば、喜多見氏の活躍の痕跡を見ることができる。喜多見陣屋跡にほど近い慶元寺や氷川神社などにそれはある。皆さんも機会があれば是非そこを訪れ、かつて江戸や世田谷を舞台に活躍した江戸氏一族の数奇な運命を辿ってみてはいかがだろうか。

2、堀田善衛と下北沢 きむらけん

 堀田善衛は『若き日の詩人たちの肖像』を書き遺している。表題から読み取れるのは「詩人をめざしていた自分の若き頃の軌跡」という意味である。
1936年、旧制石川県立金沢第二中学校から慶應義塾大学法学部政治学科予科に進学。1940年、文学部仏文科に移り、卒業。大学時代は詩を書き、雑誌『批評』で活躍、その方面で知られるようになる。
 『若き日の詩人たちの肖像』は、少年が大人になっていく断面が描かれている。フレーズの端々にそれがみてとれる。例えばこう述べる。「女のあそこの闇の奥には、秩序がさかしまになって全宇宙のこの息苦しい未解決のものぜんぶがつまっているのだ、と思う」と。成長期の混沌とした意識の一端をこう描いている、まさに文学である。
 石川から上京し慶応に通っていた。学校に通う関係からだろう。渋谷宮益坂に下宿していた。第二部になって下北沢が出てくる。彼のアパートの隣室には「朝鮮の大金持ちの坊ちゃんで、M大学のレスリングの選手をしている力持ち」がいた。その彼は「呆れたことに彼の女を貸してもらったりもした」と。彼の口癖は「コノオンナ、カシタルカ」というものだった。
 アパートはガード近くにあったと。これは茶沢通りの井の頭線のガードではないかと思う。そこに、韓国人のレスリング選手をはじめとして雑多な人種が住んでいた。
 ガードという地勢が、そういう連中をはきだめるようにしてふきだめて来ると見事に土地の文化を作者は言い表している。ガードという地勢は沢に他ならない、低まった場所に人をふきだめてくる。
 1936(昭和11)年に226事件が起こる。この後に作家の中山義秀が銀座から下北沢静仙閣アパートに越してくる。その頃、「下北沢には作家や詩人志望の青年たちが、そちこちのアパートや下宿に、数多くたむろしていた」(『台上の月』)という。三年前の1933年に井の頭線が開通し、下北沢は鉄道が交差する街となった。利便性が高くなったことから人が多く集まるようになった。それで沢筋にはアパートや下宿に若い学生や勤め人が集まってきた。発展途上にあるこの者たちは、低廉なアパートや下宿に住んだ。そして文学を論じた。時代的には散文よりも韻文に人気があった。詩人志望の青年たちである。
 堀田善衛は『若き日の詩人たちの肖像』を描いた。実は彼もまたこの下北沢に住んだ。
彼は当地では三回の転居を行った。後年彼はここを訪ねてきた。

 代々木から下北沢で三ヶ所。このうち、アパート二軒は完全に残っていて一軒は帝国石油北沢寮ということになってい、もう一軒は、傾斜地に一軒一軒が段々にたった。その頃としては極めて新しい形式の�猜顕愁▲僉璽鉢瓩半里気譴討靴�るべきものであった。
堀田善衛全集 14 所収「私の引っ越し東京地図」一九九四年 筑摩書房


 大切なのは時代である。若者は下北沢のアパートに住んでいたときに公安警察に捕まっている。要人来日に備えて予防拘禁されたのだ。その人物は満洲国皇帝溥儀である。これ紀元2600年記念式典出席のための二度目の来日だ。1940(昭和15)年6月頃ある。若者は確実にここに居住していた。
 ここでいう「文化アパート」は、新地図に記してある「北沢文化集宅」である。「帝国石油北沢寮」は近年まであったようだ。当方が知りたいのは場所である。
 今度の地図は第10版となる。これには堀田善衛旧居は載せたい。乞う、情報を。

3、文化サロン開催のご案内
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 文化とは面白いものだ。土地、土地には固有の匂いがある。地域独特のものである。我々はそういうものを大事にしている。土地土地の風情について論じるのは楽しいものだ。
 文化サロンという場合、堅苦しく感ぜられるが、文化は参加して楽しむものである。四回目も面白かった。話題噴出、耳が三つないと話が聞き取れないのではないかと思ったほどだ。我等の会は下北沢をベースとして活動をしている。が、当地と異なったところに住んでいる人は、全く違った観点で物事を考えたり思ったりもしている。多種多様な人と話し合うことで目が見開かれもする。
 これへの参加は自由である。誰でも参加できる、開催場所は代田『邪宗門』である。ここで毎月集まって文化を語っている。参加費はかからない。各自が飲んだお茶代だけを払ってもらうということにしている。
 とくにジャンルを定めているわけではない。文学、芸術に限らない。水路の話でもいいし、鉄道の話でもいい。みんなが集まって楽しく文化交流をするものだ。気軽に来てほしいものである。世田谷の掲示板に告知したらここから来られた方もいた。とても面白かった。何度も参加される方がでてきた。興味深い会になっているのだと思う。
 今度は五回目になる、期日は4月27日(日)14時からとしたい、おいであれ。 

4,町歩きの案内

 毎月、皆が楽しめる町歩きを行っています。公募して希望者が4名集まったら成立します。雨天の場合は中止です。希望コースも募集しています。

第205回 4月20日(日)「文化人がこよなく愛した成城を巡る」
案内者 幾田充代
小田急線「成城学園前駅」中央改札前(成城石井店側改札)13時30分集合
概 要:大正12年の関東大震災、昭和2年の小田急線開通、成城学園前駅設置を機に、澤柳政太郎は牛込区原町(現・新宿区)で開校していた学園を成城に移転、財団法人成城学園を設立。街は学園とともに発展し、多くの文学者・文化人も移り住みました。さらに、街の南に映画撮影所(現・東宝スタジオ)ができると、監督や俳優などもこぞって移住。家々は生垣や植木で美しく保たれ、並木は四季折々の風情で街を彩ります。古くから親しまれている本屋や古書店、センスのよい喫茶店やレストランが並び、下北沢の路地散策とはまた趣きの異なる成城散策を楽しめるでしょう。
コース: 柳田國男旧居(成城6丁目)(現・孫の柳田清彦邸/緑陰館ギャラリー)→水上勉旧居跡(成城6丁目)(平塚らいてう邸の庭と裏庭が隣接していた)→三船敏郎旧居跡(成城6丁目)→大江健三郎旧居(成城4丁目)→稲垣浩旧居(成城7丁目) →大岡昇平旧居跡(成城7丁目)→成瀬巳喜男旧居跡(成城7丁目)→旧澤柳通り(成城学園創立者・澤柳政太郎に因む)→成城学園前駅で解散 (歩行約4km)


第206回 特別企画 下北沢猫町散歩−朔太郎の忌日にゆかりの地を歩く−
5月11日(日) 案内者 きむらけん 集合場所下北沢駅東口 13時30分
雨天の場合翌日12日(月)に延期。順延は一日のみ。
駅前→下北沢の旧居→一番街の十字路→旧北沢局ポスト→一本松公園→御殿山小路→北沢4町目公園→緑小路→下北沢駅西口→下北線路街→世田谷代田駅(ダイダラボッチ広場)→代田の丘の61号鉄塔(世田谷区地域風景資産)→朔太郎の代田旧居→北沢川緑道→三好達治文学顕彰碑→鎌倉通→旧静仙閣跡(北川冬彦)→下北沢駅
当日雨天の場合は翌日とする。今回は区の広報にも案内を出すことにして定員を15名とすることにした。5月1日の区のお知らせ「せたがや」に掲載申請をした。特別企画ということで費用も資料代・保険代をひっくるめて800円とした。この回のみ。
◎申し込み方法、参加希望(開催の一週間前までに申し込む)費用については 資料代含めて500円 町歩きの参加申し込みは、連絡幹事のきむらけんにメールで申し込む 
          宛先メルアド:k-tetudo@m09.itscom.net
■ 編集後記
▲卒業研究について、早稲⽥⼤学教育学部社会科地理歴史専修 松浦遼さん。「住⺠団体によるまち歩き活動を通じた地域における歴史の共有と住⺠の地域に対する認識への影響
東京都世⽥⾕区・北沢川⽂化遺産保存の会を事例に」をまとめられた。いずれ紹介する。
▲今年は戦後80周年、以前戦争経験を聞く会を開いてきたがコロナで中断。企画として「戦争経験を聴く最後の会」を夏前に開くことを考えている。話者として好適の人ご存じでしたら一報を。
▲3/26日 寺尾紗穂、「浅間温泉望郷の歌」を配信開始 この歌、『鉛筆部隊と特攻隊』の取材過程で偶然発掘されたものだ。各種音楽配信で手に入る。歌曲の題名を検索して
▲毎回、エッセイや論考を募集しています。ぜひご投稿ください。
▲会報は会員と会友にメール配信しています。後者で迷惑な場合連絡を。配信先から削除します。会費は銀行振り込みもできます。芝信用金庫代沢支店「北沢川文化遺産保存の会」代表、作道明。店番号022。口座番号9985506
新しい年になりました。会費をよろしくお願いします。会費1200円(据え置き)
散歩参加の折、事務局直接支払いもできます(封筒に会費としてお名前をご記入ください)
▲町歩き情報に特化したメールを配信している。配信希望はk-tetudo@m09.itscom.net へ。
◎当会への連絡、問い合わせ、感想などは、編集・発行者の きむらけんへ。
(写真は、3月30日、北沢川緑道安吾文学碑前で恒例地図配り)






rail777 at 08:12│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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