2025年06月25日

下北沢X物語(5203)―新聞報道:世界平和を願った特攻隊員―

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(一)昨日、洗足池を歩いているときに電話が鳴った。「新聞が届いたのですよ。とても嬉しくて電話をしたのです。歳を取っていいことってないでしょう。親しかった仲間も8人ぐらいいたのですけどね、ついこの間亡くなったのです。もうわたくし一人になってしまいました。でもね、たまたまわたくしが覚えていたことがきっかけとなって今回新聞では大きくとりあげてもらいました。きむらさんに聞いてもらっていなかったら埋もれたままでしたね」と秋元佳子さん。元疎開学童の彼女は今は91歳、その彼女に関わる新聞記事が「信濃毎日新聞」(6月23日)の2面の3分2を使って大きく取り上げられている。「平和願った特攻隊員の歌」という見出しがついていた。

 物事を説明するときに奇跡的という言葉がよく使われる。が、すっかり手垢のついたこの言葉はうさんくさい。ゆえに表現するのが難しい。が、しかし、時代を超えて辛くも残った歌だとは言える。

 それこそ80年前である、3月末に浅間温泉富貴之湯旅館で、特別攻撃隊を送る壮行会が開かれた。隊名は誠第32飛行隊である。この旅館は東京世田谷の東大原国民学校の疎開旅館として使われていた。同館にはこの隊が滞在していた。約40日あまり過ごした特別攻撃隊は出撃することになった。

 長い間、同館で過ごした隊員たちは、もう学童たちとすっかり慣れ親しんでいた。別れが忍びない、そういう深い思いがあったに違いない。感謝の思いを伝えようと彼らが特別にあつらえた別れの歌を披露した。

(二)
 秋元佳子さんと私
全員では14人、ところが、滞在中に訓練で1人が事故死してしまった。その彼らは富貴之湯の大広間の舞台に出て歌ったという。別れの歌である。

 主体は特攻隊員だ、いずれは皆、特攻に出撃して亡くなってしまう。歌も消えてなくなるはずだった。だからこそ思いのままに、自由に本音をこの歌に託して歌った。

 儚く消えてなくなる運命を持った歌だった。が、内容は消えてしまうには惜しい歌だった。ゆえに一人の少女の記憶に残された。これを記憶していた人がいたのである。それが秋元佳子さんである。

 この歌に深い興味を持ったのが歌手の寺尾紗穂さんである。彼女もこの歌に深く感銘を覚えた。それで歌を覚えていた当の本人に二回も面接をしている。私もこれにお付き合いをした。

 この歌についてはたまたま私が彼女から聞き取って記録をした。たちまちに消えてなくなる歌で題はついていない。伝えるためには名がないと伝わらない。それで私が「浅間温泉望郷の歌」と名付けた。

 長年、浅間温泉に疎開していた疎開学童については調査を続けてきた。この歌については我々の仲間が詳しく調べてくれた。元歌は「飛練節」や「パイロット小唄」である。しかし歌詞はオリジナルである。一部「飛練節」の一節を活用はしているが全体は創作されたものである。

(三)
 寺尾紗穂さんは民間に伝わる消えて無くなった歌に深い愛着を持っている。曲の著作権という問題もあったが、これを乗り越え。今年3月26日にこれをリリースした。全国ツアーをしている彼女は、各地でこれを披露している。

 信濃毎日新聞の女性記者は、今回記事を書くにあたって丹念に調べた。東京で行われた寺尾紗穂さんのコンサートにも行き取材した。また、私と秋元さんにも直接出会って話を聞いている。長野から二回も上京してきて丹念に取材している。私も彼女とは直接に話したり、また電話での応答を行ったりした。彼女自身もこの戦後80周年という機会に特攻兵が歌った平和を伝えたいと思った。私の著作を丹念に読み、今回は彼女自身の言葉で意見を書いている。もう私も古老になった。記者教育というものがあるのか分からないが彼女に知る限りのことを伝えた。
(秋元佳子さんと私。記者の稲玉 千瑛さんと秋元さん)



rail777 at 17:59│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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