2025年07月04日
下北沢X物語（5209）―下北沢という不思議な境界―
（一）「板子一枚」という言い方がある。板は船の床板だ、船室は安全だが板子一枚下は地獄。倉運荘二階に住んでいた広瀬正二さんは、階下に大文豪の娘が住んでいるとは知らなかった。あるときそれを知って仰天したと。この地域一帯に板や壁を境にしてとんでもない人が住んでいる。ここの代沢小は戦時中浅間温泉に疎開する。ここの女中が学童の親の職業を知って驚嘆をする。「ねぇねぇ聞いて、〇子ちゃんの父は師団長の娘。〇男の父は大学教授」親の職業を聞いて女中さんがひっくり返る場面がある。下北沢は境界の町だ。だからこそ逸話が渦を巻いている。境界論を述べたのは国木田独歩である。何の因縁か彼の孫は映画俳優で下北沢の自転車屋の間借り先で哀れな最期を遂げた。そういえば当Blogは、このところずっと高アクセスが続いている。その記事は「透谷の妻、北沢に死す」である。この下北沢は境界の町なのである。
代沢小学校の歴史をたどると伊東という名字が出てくる。「1855年頃（安政）伊東氏宅で寺子屋が開かれ、代澤塾と命名」と伊東は当地区の大地主だ。
東条由布子さんから聞いた話だ。
「飛行場に行くのでタクシーに乗ったところ、伊東さんという人が運転していましたよ。下北沢の地主さんなのよ。家でのんびりしていてもつまらないからタクシーに乗って働いているというのね。あの北沢八幡神社の前に昔は馬場があったのですよ。その伊東さん、自宅から馬に乗って参拝に来た祖父に頭を撫でられたと言っていました」
これは東条由布子さんから聞いた話だ。
もうだいぶ前になるがテレビ出演をした彼女は祖父の遺品だという小袋を持ってきた。そして中から取りだしたもの、『これは死刑になる前に最後に吸った煙草の吸い殻』といってつぎに小さな白い神を取り出した。そこには『北沢八幡宮』と記してあった。
（二）
東条由布子さんはもうだいぶ前に亡くなった。彼女はかつての東条英機邸跡を案内してくれたことがある。
「私富士中でしたの、家からの行き帰りによくここを通りました。いずれはこの土地を取り返そうと思いましたよ」
東条由布子さんは邪宗門の隣に住んでいて、折々に彼女と会って話を聴く機会があった。
「私が就職をして家を出るときの話です。向かいが工場で二階が寮になっていました。窓から顔を覗かせて、口笛をピュウピュウ吹くのですね。スーツを着ての初出勤でしょう。とても恥ずかしかったですね」
彼女は高校を卒業して就職をした。第一生命保険である。
第一生命保険はお堀端にある。終戦後アメリカ軍に接収された。ここの社長室をマッカーサーを執務室としていた。それでマッカーサー記念室が今もある。彼女が就職をしたときに連合国軍最高司令官がいた建物に、東条英機首相の孫が務めているということで評判になったことがある。彼女から聞いた覚えがある。
（三）
東条由布子さんから多くの話を聞き取った。彼女は一時インタビューアーをしていたことがあった。放浪詩人、永井叔をインタビューをしたことがあると聞いた。それで初めて永井叔のことを知った。居住場所は彼女から教えてもらった。
森茉莉にもインタビューをしていた。
「確か、今もテープが残っているはず」
「ぜひそれは貸してほしい」
頼み込んだところ、森茉莉は手に入れた。が、永井叔のは手に入らなかった。彼女が亡くなったからである。
当地一帯は逸話だらけである。独歩が言う渦が巻いている。
