2025年08月22日

下北沢X物語(5240)―特攻隊員が学童に贈った命の証―

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(一)事例研究に比較は欠かせない。浅間温泉に滞在していた隊で素性が分かっているのは二隊、武剋隊と武揚隊だけであった。最近になって第72振武隊の来松が明らかになった。事例が二つあると比較ができる。前者をAとし後者をBとする。Bの滞在はAに比べると短い。機の爆装が終わると即刻母隊に引き揚げる。理由は整備する側の技術が格段に高まったからではないか。今回浅間に来てもう一つのことを知った。疎開学童のみならず地元の学童とも熱くふれ合っていたことだ。やはり若い航空隊員は学童を見ると構わずにはおられなかった。これからを生きる子へは、二つのメッセージを贈った。彼がこの世にいた証となる陸軍航空部隊記章を惜しげもなく与え、また自身が取得した技、「宙返り」を学童らに見せて立ち去った。彼らは疎開学童へも地元の学童へも生きていた証を伝えたかったのだろう。

 浅間温泉を訪れて街を歩いた。あそこの旅館、ここの旅館、まだ健在であったり、既に閉館していたりしていた。際だっていたのは「井筒の湯」と「ゆもとや」だ、共に代沢国民学校が使っていた疎開宿だ。前者は跡形もなく消えていた。後者は、建物は健在で屋上に「ゆもとや」の大看板が夏空を突き刺していた。

 ここも代沢校の疎開宿だった。代沢関連で言うと千代の湯があった。ここには武剋隊の六名が宿泊していた。千代の湯は小さめの旅館であった。が、「ゆもとゆ」は大きい。ここに宿泊していた学童の証言では11名いたと言っていた。いわゆる編隊編成ではこの数は中途半端である。武剋隊・武揚隊は15名である。第72振武隊は12名である。

 「ゆもとや」を巡る問題は、過去に調べを行った。隊員の数は半端だ。ここは旅館が大きいので隊長などは別室だったのではないか。宿泊していた学童はつぎのような記録を残している。

 特攻隊の宿泊(私は湯本館)になっていたためよく特攻隊の人達と話し合った。彼らは日本は必ず勝つとよくいわれていた。それでその通り信じていた。特攻隊の基地が今の松本飛行場。いよいよ出発という日飛行機でわざわざ温泉まで飛んできた。低空飛行で隣の井筒屋の屋根に触れてワイヤーをひきちぎる程だった。低空で接近してすぐに左旋回しながら翼を左右に振り防風カバーを外し中から手を振っていた。それが格好よかった。とても印象的で特攻隊に憧れた。また軍刀を抜いてみせて貰ったが本当によく切れそうでピカピカだった。羨ましかったのは特攻隊員に出す食事は私達が口に出来ないもので、それを沢山食べていたこと。

これは時期的には3月である。4月にはこの代沢校は、浅間を後にして再疎開していくからだ。ただこういう証言も記憶違いがあるものだ。「風防カバーを外し中から手を振った」とあるが。零戦に搭乗していた人は、飛行中に風防カバーの開け閉めはできないと。

(二)
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 「ゆもとや」ではお別れ会を行ったという。

 旅館の三階には松本飛行場から特攻隊員が来ていて、ある夕方、疎開の子供たち数人が参加してお別れ会をしました。短剣で指を切って血を皿に入れ、日本国旗に自分の名を書きました。別れの言葉は涙でとぎれとぎれでした。翌日旅館の空の上を飛行機が旋回してくれました。

 短剣で指を切って血を出し、それで国旗を引き裂いて各自の名を書いてくれたという。
そして、
「俺たちは死んだら靖国神社に行くから、お前たち、会いに来いよ」
彼らは学童に言っていた。
「うん、必ず行くよ」
こう応えていた。
 今度は、靖国で会おうというのが合い言葉だったようだ。

 死んだら英霊として靖国に祀られる、兵士もごく普通に思っていた。
 当時の人々の一般的な考えだった。つまり、「総力戦態勢下ではすべての国民は、靖国の神と同じように天皇と国家のために戦わなければならなくなった」(すっきりわかる『靖国神社』問題 山中恒著 小学館 2003年刊)今になって考えるとあの戦争を遂行させるための国家としての一つのプロパガンダだった。特攻で死んだら英霊として靖国に祀られる。その旧弊が今も生きていて問題を生んでいる。特攻を美化する風潮が今もこの社会には根強くある。
 
(三)
 論点がずれてしまった。ここでは新しく見つかった。地元学童と特攻兵との関わりを述べるはずだった。このことについては、講演の冒頭で紹介したことである。それは具体的には本郷国民学校の学童と特攻隊員たちとの関わりだ。

 このふれ合いはいつなのかかが問題だ。本郷国民学校の周りには浅間温泉の多くの旅館がある。通常的にはここに滞在していた疎開学童との関わりが想定される。が、疎開学童は4月初めに浅間温泉を離れ再疎開をしている。疎開学童がいなくなった後、暇を持て余した航空隊員たちがつれづれを慰めるため地元の学童と出会ったのではないか。こちらについては次回に取り上げることにする。
(写真は二葉掲げた。一枚はゆもとや、もう一枚は湯坂)



rail777 at 18:08│Comments(0)││学術&芸術 | 地域文化

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