2025年10月08日

下北沢X物語(5270)―常陸教導指導団出撃の特攻機―

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(一)閑散ローカル線の旅は最も好むものだ。何することなく移りゆく車窓を眺めて行く。畑に鍬を振る老人、田舎道を自転車を漕ぐ少年、草を食みながら流し目を送る牛など見飽きない。美しい絵景色を堪能して行く旅には自由がある。この旅の最後にたどりついたのは「つばさの塔」である、ここから飛行機に乗って殉死した人々を忘れまいと建てた碑だ。「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます」と言う名言を吐いた彼もここから飛び立った。彼の言う自由とは何か、心置きなく自然を眺めたり、おこうこを食べたり、恋人を抱いたりすることだ。が、特攻は惨い、一切の行動が奪われ、ひたむきに死に向かわされた若者たちである。いかな国家でも精神の自由は奪ってはならぬ。特攻兵を偲ぶとき、その作戦の過酷、苛烈さが思われてならない。

 戦史を学習していくと一つの用語にぶつかる、「常陸教導飛行師団」である。
戦争末期陸軍中央は飛行学校と航空整備学校を軍隊化した、このときに組織を改編して明野教導飛行師団と常陸教導飛行師団ができた。

後者は、すなわち、常陸教導飛行師団本部は水戸東飛行場にあった。この跡に「水戸つばさの塔」が建立されている。

 私は、ここを訪れようと「ひたち海浜鉄道」平磯駅で下車をした。子猫が待っていた。駅から塔まで歩いて行った。途中地元民の柴 九月一日さんに出会った。それで場所が確認できた。

(二)
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県道176号から県道108号線へひたちなか市新光町に来たときに白い立て看板が目についた「水戸つばさの塔」と記されている。一角が公園になっている。奥に「つばさの塔」があった。基部に菅原道大書(陸軍中将) とあって「散る桜 残る桜も ちるさくら」
と彫ってある。碑については、こうある。

常陸教導飛行師団で編成された特攻隊は、 比島方面二隊、沖縄方面一〇隊の合計一二隊であり、突入者は九五名で、それ以外に特攻隊に指定されていて戦死や殉職した者が一八名いる。また別に本土防空作戦で体当たりして戦死した者が六名いる。この塔は右特攻戦死者をはじめ水戸飛行場に関係ある戦死、殉職者七〇九柱を祀ったものである。

ここからは、陸軍の比島航空特攻が二隊が出撃している。この隊の総称は八紘隊である。1944年11月2日に大本営から発表された神風特別攻撃隊の戦果は国民に大きな反響を呼んだ。陸軍もこれを受けて特攻隊を編成した。その総数は十二隊だ。

第2 一宇隊 一式戦 12機
第10 殉義隊 一式戦 12機


 一宇隊については解説のYouTubeがある。
 特攻戦死した喜多川等の許婚の短歌が載っていた。

 あたためてあげたき己がこの胸に
      今尚水漬く君が屍を 


 特攻戦死者の屍はいまも皆水漬く屍である。米軍は戦後墜落機の徹底調査を行っている。機が墜落した場合、事後処置をどうするかまでが計画としてあったようだ。日本軍にはそういう計画は全く無かった。

(三)
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 私がなぜ水戸東飛行場に興味を持ったか。2022年に『台湾出撃沖縄特攻』上梓した。ここでは台湾八塊飛行場から出撃した隊を中心に描いたものだ。この中で飛行第204戦隊が1945年5月20日に五機、 7月19日に四機が出撃している。
 「水戸つばさの塔」には由来記があって出撃機が記されている。が、水戸東から出撃しているはずなのに飛行第204戦隊の記述はなかった。なぜだろう。
(平磯駅で待っていた子猫。大洗沖で漁船によって引き揚げられた二式戦闘機の残骸)

rail777 at 18:15│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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