2025年10月30日

下北沢X物語(5285)――21年間:数千人からの地域の聞き書き―

静仙閣前の地蔵尊
(一)古老は一冊の書物だ、前からの持論だ、ひたすらに街で古老をとっ捕まえては話しを聴いてきた。21年間にどのくらいの人に聞いたか、数は不明だ。恐らく何千人に及ぶだろう。十年前ぐらいは古老はそんじょそこらにごろごろいた。聞いてきて分かったのは男女の間に大きな差があることだ。女性の場合はお嫁にきている。土地の昔は知らない。が、女性の出身地における昔も大事だ、浜松生まれの某女は艦砲射撃の怖さを語った。茨城県からの女性は遠望した東京空襲を語った。西の空が真っ赤に燃えた。この世の終わりを思ったという。この頃での聞き書きで変化、向こうから歩いてくる人に声を掛けると、自分より若い人、この頃では自分が古老になってしまった。「土地の高低は大事です、ほらあの尾根筋、ここに用水を流していたのですよ。それは三田用水、流れ流れて火薬工場へ、はたまたビール工場へ」と今は古老からの伝承を話すこともある。

思い出深い人は何人もいる。下代田の柳下政治さん、だいぶ前に亡くなられた。代田七人衆の末裔だ。
「戦争が終わって家に帰ってきたんだ、下代田は焼けたと聞いていたんで心配だった、池尻の方から川沿いに歩いて来ると。うちの大欅が見えた。嬉しかったね」
 この大欅のすぐ近くに加藤楸邨が住んでいた。ここで『十二月八日の霜の屋根幾万』を詠んだ。俳人は、その大欅の虎落笛を耳にした、この音を聞いて旅にそそられた。後鳥羽院の独り心を知るために隠岐への旅に出かけている。

北沢五丁目の佐山一雄さん、彼のところには何日も通い詰めた、彼から下北沢の昔を多く聞き取った。
 家の側には鎌倉通りが通り、家の脇で道路が分岐し古道二子道へと繋がる。そして家のすぐ南には小田急線が走っていた。ちょうど沢の底に当たる場所で、ここには当地一帯の逸話が坂を転げ落ちて貯まっていた。
「可愛がっていたシェパードが徴用されたんだ、十円をくれたけど犬が可愛そうでならなくて兵隊が置いていった十円をそこの川に投げ捨ててやったよ」と一雄さん。

(二)
 佐山家はすぐ南に小田急線があった。
「わしは今でも生鮭が食べられない。昔な、ついそこで電車の追突事故が起こったんだ。死人が出てな、ついその死体を見てしまったんだ、まさに生鮭だよ」
 
「線路の向こうには静仙閣があった火事になってよ、わしは消火に駆けつけたけどな」
 伝説のアパート静仙閣である。高級アパートには多くの有名人が住んでいた。このアパートのことも掘り起こしてきた。
 「下北沢 静仙閣」と検索に入れると多くは私が書いた記事がヒットする。このアパートの関係者の末裔の藤井剛さんから、「星霜」遠藤義之 非売品(1998刊)が得られた。また探していた建物の写真も彼を通して得ることができた。

 「静仙閣」のことで忘れられないことがある。ここには作家の一色次郎が住んでいた。
1945年3月、彼はアパートからの退去を命ぜられた。

アパートは複数棟あったが、線路に近い方、小田急線寄りは強制疎開に引っ掛かった。それで彼は転居を余儀なくされる。世田谷区代田二ノ八二三の「見晴荘」に越した。それで昭和二十年三月二十七日に静仙閣にお別れの挨拶に訪れた。奥さんは管理人と話しこんでいる。

 カノ子が管理人室で話し込んでいる間に、私は地蔵さんのまわりを掃除する。宝暦三年(1753)から立っている、この小さな地蔵さんも、こんどはどうなることだろう。地蔵さんの背中のサクラはまだ若芽も出ていない。枝ばかりの梢に夕もやが漂っていた。
 「東京空襲」一色次郎 河出書房 昭和42年


静仙閣前の桜の樹はいまは切り株だけだが、数年前は見事な桜があった。が、地蔵さんは無かった。どこへ行ったのだろうか、ずっと気になっていた。
 近隣を聞き回った。ちょうど交通安全週間のときである、佐山家近くにテントを張ってこれの活動をしている人がいた。土地の人だ。
「宝暦三年建立のお地蔵さんを探しているのです、ほらそこの鎌倉通りの踏切を渡ったところに桜の樹があるでしょう、あそこの下にあったものなんですよ」
「ああ、おれは知っている、地主の清水さんの家にあるよ!」
 驚きだ、何十人も聞いて来て分からなかったことがあっさりと分かった。

(三)
 宝暦三年のお地蔵さんは静仙閣跡からいくらも離れていない人の家にちゃんと祀られていた。これについては何の疑問も抱かなかった。つまり、古道鎌倉通りだから路傍に安置されていたのだろうと。
 しかし、鎌倉通りは古道ではない。我らこの真偽を確かめるために道を歩いて点検した。普通は庚申塔や地蔵尊があるがこれは確認できていない。結論づけたことはデベロッパーの宣伝戦略だったのだと。
 このごろ疑問に思うようになった、この地蔵尊はもともと違うところにあったのではないか? (小田急下北沢3号踏切、左手奥に佐山家、今はない。宝暦三年の地蔵尊、桜の樹)


rail777 at 18:26│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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