2025年11月15日

下北沢X物語(5296)―日本帰還:米兵所有の特攻機の破片2―

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(一)特攻機のパーツを所持している米国人が、日本の遺族にこれを返却したい、ついては当該機と思われる第204戦隊の関係者との接触をしたいとの報が、私のBlogにあった。 2023年11月09日のことだ、協力する旨のコメントを返したが返答はなかった。当事者の岡田節子さんは各方面に声を掛けた。このことが2024/08/14 の読売新聞に掲載された。
「あの時の特攻兵の遺族を捜して…戦友亡くした祖父から託された機体の残骸、届けたい米国人男性」との見出しである。戦隊は戦後に「飛行204会」を結成し、毎年2月4日に靖国神社に詣で、そして九段会館で戦友会を開いていた。しかし、人は老いていく、関係者の多くは物故された。新聞の呼びかけに応える者はなかった。部品を所持している米フロリダ州在住の会社員マーカス・クレイコムさんはこの8月に仕事の関係で来日した。このときに部品を岡田節子さんに渡し、後事を託した。

金庫の金属片
 米フロリダ州在住の会社員マーカス・クレイコムさん(写真)。祖父のジョン・トロイヤーさんは1944年に米海軍に招集され、高速輸送艦「レジスター」の乗組員になった。
 「『Kamikaze attack』で友人ら複数人が死傷した」。祖父は特攻を受けた経験を10代だったクレイコムさんに語って聞かせた。決まって、「多くの命を奪う戦争は不必要だ」と口にした。
 祖父は2001年に82歳で亡くなる直前、「特攻機の残骸の一部を金庫に保管している」とクレイコムさんに明かした。「艦上で拾った」と言う。金庫を開けると、少しさびた小さな金属片(縦約10センチ、横約25センチ)が一つ入っていた。


飛行第204戦隊は、陸軍だ、1945年5月20日に台湾八塊飛行場から出撃している。機種はキ43隼である。しかし、海軍の神風特攻隊の衝撃は強烈だった。以来、アメリカ人には特攻機はすべて「カミカゼ」だ。

(二)
東光寺 乗員のジョン・トロイヤーさんは、負傷はすることは無かったがその経験はショッキングなものであった。破片を拾って本国に持ち帰った。金庫にしまったというところは勘所ではないか。彼にとって強烈な思い出だったからだろう。

 昨年10月、日本への出張をきっかけに事態が動き出した。奈良市に住む友人のリー・ジョンソンさん(55)に打ち明け、協力を求めると、「力になりたい」と引き受けてくれた。
 ジョンソンさんの妻、節子さん(56)も図書館に足を運んだり、戦争関連の各地の史料館に電話をかけたりして協力した。


 私に協力を求めてきたのが、この節子さんである。彼女は各方面に声を掛けた。

(三)
 調査を進めるうちに特攻のことを調べている織田祐輔さん(38)と出会ったという。

 織田さんは特攻隊の調査に力を入れており、特攻機の残骸に関する日米双方の報告書から搭乗者を特定した経験もあった。特攻隊戦果調査表などの記録から、レジスターを攻撃したのは、台湾の飛行場から45年5月20日に出撃した「誠第204戦隊」である可能性が高いとわかった。5機が特攻で出撃し、隊員5人が未帰還。残骸は5機のうちの1機のものと推定された。

 ここのところが大事だ。5月22日に特攻出撃した隊は二隊あった。一つは知覧から出撃した第50新部隊だ、もう一つが台湾から出撃した第204戦隊である。共に機種は一式戦、キ43隼である。特攻戦死者は前者が9名で、後者は5名である。
 記事では誠第204戦隊の可能性が高いと。が、その根拠は示されていない。印象批評的に第204戦隊ではないかとされている。ここはどうなのだろう。
(お寺は東光寺の銀杏)


rail777 at 18:44│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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