2025年11月30日

下北沢X物語(5306)―北沢川文化遺産保存の会会報233号―

CCI20251130
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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第233号    
           2025年12月1日発行(毎月1回発行)
    北沢川文化遺産保存の会  会長 谷亀 �冢�
               事務局:珈琲店「邪宗門」(水木定休) 
       155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
                 会報編集・発行人   きむらけん
          東京荏原都市物語資料館:https://rail777.livedoor.blog/
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1、邪宗門と片岡義男 きむらけん
(一)
月日が経つのが恐ろしいほどだ、この12日17日に我らの会は、創立21年を迎える。多くの活動を行ってきた。その重要な活動の一つとして「下北沢文士町文化地図」の発行がある。現在、配布しているの9版である。驚くことなかれその総発行枚数は9万部に達している。現在最新版は配布中である。2024年3月20日に発行した。これまで桜祭りなどで配布をしてきた。後、残りがどのくらいあるのだろうか。
 地図の発行は、情報発信である、これによって間違いが分かったり、また新たな発見があったりする。やはり年月が経つといろいろなことが分かってくる。新たな居住地情報などは大切なものだ。堀田善衛は下北沢では三箇所で住んでいた。一箇所は掴めたが他二箇所は分からない。
 最近知ったことで言えば片岡義男は、代田に25年間も住んでいたことが分かった。二箇所に分かれているがこれはだいたい見当がついている。ただ彼の場合は存命している。
 我らの場合は、物故者の旧居を地図に載せている。それでこれは載せられない。
 私は、片岡義男のことは知らないでいた。文化サロンで話題にすると、皆はよく知っていた。出席者の松山信洋さん、小説だけではなくハードボイルドも書き、音楽とか詩とか、総合芸術的な発信をしていたと。
なんとまあ、灯台下暗しだ、さらにびっくりしたことがある。片岡義男は店の常連であったことだ。
「片岡義男がうちの店によく来ていたということを知ったのは後になってからですよ」
 邪宗門の若主人が言う。
「あるとき珈琲のことを書いた著作が送られてきたのです。そこにうちのことが書いてあったのですね。それで常連客と知ったのですよ」
 その本は、『珈琲が呼ぶ』(2018年1月20日発行 光文社刊)だった。
邪宗門が出てくるのは「ときには森さんの席に座ることもあった」というタイトルがつけられていた。
 片岡義男が邪宗門の近くに住んでいることは分かっていた。
「世田谷代田一丁目、そして二丁目に僕は25年間にわたって住んだ」(『あの道がそう言った』)とあったからだ。代田二丁目は十六番、これは分かっていた。世田谷代田駅前の一角だ。しかし、一丁目はどこなのか分からない。ところが、「ときには……」というエッセイの中に詳細な説明があった。
 これまで苦労してきた、作家の旧居探しほど難しいものはない。手がかりは全集年譜である。しかし、これが作られる作家はかなり限られてくる。
 全集に載っている住所は、旧住所だ、これがくせ者だ、旧の場合は1156番地とかが書いてある。ところがこれだけでは分からない。この場所が広範囲なのである。
 これまでの経験では、作家本人を知っている人がいて教えてくれる、というのがベストだ。作家本人が自宅道順を書いている場合も助かる。

 当時の僕は、自宅からごく平凡に歩いてその喫茶店まで、六分ぐらいの場所に住んでいた。 梅丘通で宮前橋の交差点に出るすぐ手前の道を右に入り、寺前橋を渡り上り坂の途中の右側にあった集合住宅の三階の部屋だ。
『珈琲が呼ぶ』2018年 光文社刊


 これほど丁寧に書いている人は少ない。ここまで書いてもらえれば容易に分かる。寺前橋は、代田円乗院のそばにあることから名付けられたものだ。地図をたどると坂の右手に「鶴ヶ丘パークマンション」がある。これに違いなかろう。
 我ら「下北沢文士町文化地図」に作家旧居を記している。が、これは物故者である。片岡義男は存命である。しかし、これは後々のために参考になる。
 興味深いのは萩原朔太郎旧居のすぐ側である。片岡は詩も書いている。朔太郎は間違いなく知っている、かの詩人は意識されていたであろうか。
(二)
 毎月、代田邪宗門で文化サロンを開き、文化を語っている。文化とは何か、土地固有の空気を言う。当地一帯は沢の町、丘があれば川もある。前者は日向臭い、後者はドブ臭い。空気がまぜこぜだ。山の手的匂いと下町的匂いがする。こういう中で育った作家が片岡義男である。この代田には25年間住んでいたと。著作を漁ってみると世田谷代田や下北沢のことが頻繁に出てくる。土地へのこだわりがとても深い作家だ、青春期に当地で過ごし、この土地の文化にすっかり馴染んでいる。世田谷代田や下北沢の固有性は吹きだまりだ。かつて集まったのは若い詩人、今は演劇人や音楽家だ。彼らは未来に対しては希望的だ。吹きだまりにはこそっと香水も匂っている。これもまた文化の片鱗だ。女性の色香である。
 当地域で書かれた作品は数多くある。が、土地環境と本人との関係を描いた作品は少ない。が、片岡義男だけは異なる。彼は青春時代25年も代田に住んだという。彼の作品には世田谷代田、下北沢が頻繁に出てくる。地域文化が作品に滲み出ている。彼は代田の丘上に住んだ。その空気感はおしゃれである、干した布団は日なたくさい。近隣には知識人が住み、そのお嬢さんはみなかわいらしい、近隣からはピアノの音が流れてもくる。丘上は自由に満ちていた。片岡義男はこの土地の趣を細かく描いている。土地の文化と作家とを考える好個の例ではないか。
 先に紹介したのは「ときには森さんの席にすわることもあった」(『珈琲が呼ぶ』光文社 2018年刊)である。この続きだ、彼は「邪宗門」で女性編集者と会う約束をしていた。家から店までの径路が文章に出てくる。

 歩いて六分は所要時間であり、歩き方の経路には何種類もあった。その日の僕は、最も単純に歩いた。 集合住宅を出て、坂を下り、用水路を暗渠にして緑道と称している道を鎌倉道通りまで歩き鎌倉橋南の信号で梅丘通りを渡り、最初の脇道を右へ曲がった。

 この記述から片岡義男の日常が想起できる。近隣を歩きまわることが好きだった。目的地に行くまで径路を変えて行っていた。同著にはこうある。

 邪宗門へは何度も行った。自宅からちょうどいい距離にあった。店に入るなら、それはまごうかたなき喫茶店でもあった。歩いてそこまで行く径路には、すでに書いた通り何種類もあった。しかし、いくら複雑に歩いても、それは代田一丁目の中のできごとであった。

 片岡義男の文章表現には道順がよく書かれる。下北沢から自宅に帰るにはどう帰ったかの細術もあった。駅西口から鎌倉通りを通っていく順路である。

(三)
 六月の曇った日の午後には平凡に歩けば六分ほどなのに、三十分近くかかった。代田に住み始めたのは十三歳の夏からだからそのときすでに二四年も僕は代田の住人として過ごしていた。子供の頃にしばしば見た景色を一つずつ確認しながら歩くと、三十分近くかかった。

 記述が具体的で径路が目に浮かぶ。家から坂を下ると寺前橋だ、彼はすぐそばの円乗院に入って境内の六地蔵を見たり、蓮の花を見たりしたのだろう。寺からは東にいくと、空中線を十二本の電線が横切っているのが見える。左手の丘上には鉄塔が聳え建っている。「代田の丘の61号鉄塔」である。この鉄塔を眺めて行ったことだろう。
 ここら辺りに住んでいたのは萩原朔太郎、古関裕而だ。そして片岡義男、三人に共通するところがある。歩きながら材を拾うという点である。朔太郎は漫歩と称して近隣をほっつき歩いていた。とふと足を停めてはは懐からノートを取り出し思いついたアフォリズムを書き付ける。古関裕而も近辺を歩き回った、根津山(現羽根木公園)まで足を伸ばした。自宅に帰って来ると座卓に就く。ピー缶一本取り出してこれを吸う。吸い殻を灰皿に押しつけて、今度は鉛筆を取り出す。そしてやおら五線譜におたまじゃくしを書き込む。散歩中に貯め込んだ曲を一気に吐き出すように書き付けた。

2、文化サロン開催のご案内
 
期日は12月27日(土)14時から 邪宗門にて

 こんどは十三回目となります。よく続いています。個別個別人の歴史は違います、町の思い出も違います。土地の文化を話題にすることが多かったですが、話題にする話は当然皆違って違います、それぞれが見聞したことを話していると思いがけない逸話を聞き知ることがあります。そこに発見があります。「欅の大木があってその虎落笛が俳人を隠岐の旅に誘ったのです」(加藤楸邨)と。これは新たな文化発掘だと言えます。土地の匂いをみんなで語る、そこにこそ文化がある。文化は参加して楽しむことです。今度は一年の終わり、一時を文化を語って楽しみましょう。
 会費はとりません、各自が飲んだものを各自が払うというのが参加条件です。どなたでも参加できます。どうぞおいでください。

3、町歩きの案内
 毎月、皆が楽しめる町歩きを行っています。公募して希望者が4名集まったら成立します。雨天の場合は中止です。希望コースも募集しています。

第212回 ダイダラボッチ歩いて、語る(代田空襲も)
     期日 12月13日(土)12時30分 小田急線世田谷代田駅 集合
コース 駅→ 代田吹上館屋上から駅前の足跡を見学→ダイダラボッチ川跡 → 出頭山跡 → 庚申塔→ ダイダラボッチ跡見学 → ダイダラボッチ本家看板
→ 守山地区会館・
ダイダラボッチを語る 場所守山地区会館第4会議室13時30分頃から17時まで       内容・ダイダラボッチの紙芝居 笠原一守さんほか 
  ・幻想朗読劇「ダイダラボッチ」朗読 幾田充代、渡辺睦子、佐藤智恵、村上剛
  ・世田谷代田の空襲について 伊東光子さん(新婦人代田班)
・ダイダラボッチ討論会 谷亀緑郎 笠原一守 きむらけん


第213回 生田散策と新年会〜庄野潤三旧宅、明治大学平和資料館〜
 期日 1月24日(土)午後1時半 小田急線「生田駅」改札前(1箇所)集合
 案内者:きむらけん(補佐 幾田充代さん)
概要:新年の新しい企画 郊外にある作家・庄野潤三の旧居(「山の上の家」)をのんびり歩くものです。生田駅を出発し、庄野宅近くでは上り阪を登っていきます。復路では、明大生田キャンパスにある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」に立ち寄ります。生田駅前に帰着後、庄野潤三行きつけだったという中華店「味良」(みよし)にて新年会を催します。コース:小田急線「生田駅」出発→庄野潤三旧居「山の上の家」→明治大学平和教育登戸研究所資料館(16時閉館)→中華店「味良」で新年会(17時〜19時)参加費:散歩費不要、新年会予算4千円/人
◎費用及び申し込み
 参加費用500円 参加申し込みは、連絡幹事のきむらけんにメールで申し込む
212回は先着20名要申し込み 宛先メルアド:k-tetudo@m09.itscom.net

編集後記
▲毎回、エッセイや論考を募集しています。ぜひご投稿ください。
▲会報のメール配信について 会報は会員と協賛社のみの配信とする。年会費1200円は、我らの活動を支える費用である。会の運営、また文学碑の保守などに会費は活用している。
会費については、事務局の『邪宗門』で支払うことができる。会費は、年1200円(会計年度1月から12月までです)会費は。会費は銀行振り込みもできます。芝信用金庫代沢支店「北沢川文化遺産保存の会」代表:作道明。店番号022。口座番号9985506 会費未納の方は、会費をよろしくお願いします。なお、会報については紙印刷を希望される方には郵送している。こちらは郵送費がかかるので1500円を徴収している。
▲町歩き情報に特化したメールを配信している。配信希望はk-tetudo@m09.itscom.net へ。
◎当会への連絡、問い合わせ、感想などは、編集・発行者の きむらけんへ。


rail777 at 18:25│Comments(2)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

2. Posted by きむらけん   2025年12月01日 08:57
>>1 こめんとありがとうございます。「皇紀年号の古レール柱」は、行ったときに点検してみます。
1. Posted by すぎたま   2025年12月01日 02:00
きむらけんさまこんばんは。

生田駅に行かれるのですか。東北沢駅の跨線橋回りに多数使われていた「皇紀年号の古レール柱」が、生田駅下りホームに1本だけ現存しているはずです。
表記はこんな感じです。
37 A マルエス 2608 IIIIIIIIII OH
(左から順に1メートルの重さ37キロのASCE断面、マルエスは○に4カ所でっぱりのあるSを囲んだ日本製鉄のマーク、2608年10月製、塩基性平炉=open hearth、という意味)
日本製鉄の鉄道レールの世界には、皇紀2608年が存在するようです(笑)。2607も2606も2605までありました。下北沢駅も井の頭線との乗り換え跨線橋付近にありました。今でも1本ずつ調べた「生データ」は持っていますので、いつか公開したいと思いますが。
これらは実際の所、戦後になって軌条工場が「正式に」稼働したのが1948年11月であり、それまで「非公式」に細々作っていたレールには、区別のためか、あえて戦争中同様皇紀年号を使っていたということのようです。
生田駅の下りホームの、上りホーム方改札口への跨線橋のすぐ前あたりに、柱として立っているのですが、表記は陽刻ですが薄く、やや斜め上あたりに1カ所くらいしか見えないのが難点です。もし見つけられたら是非ご覧下さい。

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