2004年10月15日

下北沢X物語(34)〜朔太郎と利一の住む街〜

53391d09.JPG   久しぶりの晴天だ。人生空模様は薄曇り時々晴れ。待っている晴れ間は美しい。それで,朝方,少し遠回りになるが通勤途上の文学散歩と洒落てみた。もちろん、猫町キーステーション探しだ。昨日は送電線がヒントになった。
 北沢川にたどり着いて上を見上げると送電線があった。それに沿って丘に上る。高圧線鉄塔には駒沢線と書いてある。山の手の南北に縦断する送電線だ。
 かつて送電線に沿って旅をする少年の物語があった。巡らされた電線と鉄塔を目当てに旅をする。おもしろそうだ。山の手の谷に沿った駒沢送電線にはことにおもしろい物語が潜んでいるに違いない。
 代田の台地を上る坂はかなりきつい,息切れしそうになる。やっと上りきったところで後ろを振り向くと確かに,世田谷の平野が見える。転げ落ちた坂の下は,北沢川だ。その向こうはなだらかな上り傾斜になっていて、頂上にはビルが建っている。三軒茶屋だ。ことにレンガ色した高層ビルキャロットタワーは目に付く。
 と,ふと数日前の光景を思い出した。横光利一がいた代沢の丘から見た光景もこれと同じであった。横光利一も萩原朔太郎も同じ風景を見ていたことになる。先頃亡くなった水上勉が「風景から小説が生まれる」と言っていた。世田谷の台地から眺める景色が小説や詩の言葉に色合いを与えているはずだ。目に見える平野,足に応える坂,樹木、小路などが彼らの文学になにかの色を落としているのではあるまいか。
 萩原葉子さんの「父・萩原朔太郎」にはその横光利一のことが出てくる。(角川文庫,昭和36年)「昭和13年の頃のことだった。私は父の書斎の本棚から「旅愁」をなにげなく取り出して読み始めた。/表紙の見開きには『萩原朔太郎様 横光利一』と署名がしてあった。(このころ横光さんは家も近く,わたしの家にもよく来られた)」とあった。
  「家も近い」とあるが、直線で1500メートルほどもある。スープが充分冷める距離だ。利一からするといったん坂を下りてまた上ってくる形になる。U字谷の底が下北沢だ。一方の丘から丘へ、きつい坂を下ってまた上ってくることになる。いわば障害を越えてやってくる、そして、懇意になる。近いというだけの仲では決してなかったと思う。文学の核心部分で共鳴するものがあったと推理する。
 朔太郎は代田に越してきたころから日本の伝統詩に深い関心を示すようになったという。横光利一との接点はそこに求められるのかもしれない。
  坂を上って、高圧線鉄塔の下にたどり着いた。鉄塔番号は62だ。すぐそばに色づいた柿が朱に染まっている。付近はいまも緑が多い。その鉄塔の東側、路地の奥を入ったところに児童公園がある。番地は2−14となっている。50坪ほどの広さだ。色を塗られた遊具があった。が、なぜかわからないが井戸水を汲み上げる手押しポンプがあった。
 児童遊園地、鉄塔、それにかつての653番地、それらが重なる地点だ。この一角に旧居はあった、ほぼ間違いないだろう。
 14番地の脇を東に向かってまっすぐに延びている道がある。横光利一はこの道を通って朔太郎邸に来たであろう。坂を下る形になる。朝日がそこに当たっている。道に銀の粉をまぶしたように光ってみえる。下っていくと突き当たりに深い緑が見えた。森厳寺の森だ。利一は寺の裏手の高台に住んでいた。
 萩原葉子の筆遣いは父に優しい。
  節分のとき豆まきをした後,朔太郎は家族の歳の数の豆を入れた半紙の袋をもって厄払いに出かけたそうだ。
「暗いお地蔵様のある四つ辻か,それとも小さな道祖神のあたりかと,私は父の置いてきた所をいろいろ想像してみるのが何となく楽しかった」
 愛憎こもごもであったろうと思う。が、父を温かく見守る彼女のまなざしに惹かれる。それにしてもこの谷にはなんと土着神の多いことか。谷谷にはきっと口碑もまだ眠っているだろう。


rail777 at 20:39│Comments(0)│TrackBack(0)│

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