三軒茶屋の歴史文化を探る
2022年03月29日
下北沢X物語(4455)―三軒茶屋の歴史文化を探る ―

(一)歴史と地名、深い関係がある。地名は手がかりだ、場所の認識をするには不可欠だ。「どこで何があった」ということから記録は始まる。当地域の歴史を知るには『世田谷の地名』が一番だ。郷名比定、その名がなぜついたか、他郷との関連において論じている、地誌観のレベルが高い。ところが、『世田谷の地名』には三軒茶屋がない。新しいからだ。昭和七年世田谷区成立時の区画図にようやく三軒茶屋町が出てくる。元は上馬引沢であった。三軒茶屋は古くからある町のように思われるがそうではない。さほど新しくはない。三軒茶屋から新町を経由して二子へ行く道は江戸時代中期に造られた新道だ、このときにここは追分となる。信楽(松本楼)、田中屋、角屋という三軒茶屋があったことに由来する。角屋は新道にあることからやはりこの名称は文化文政頃から言われ始めたものだろう。
三軒茶屋を東西に貫通する道は、律令時代には駿河国と相模国を結ぶ東海道の本道であった。足柄道、また足柄路とも呼ばれた。ここを東国から西国に赴任していく防人が通って行った。一本道だったときは単なる経過点だったに過ぎない。ただおもしろいことに現在の大山道道標がある地点は三軒茶屋遺跡あった。縄文中期のもので土器 打斧が出土している。この一帯は覚志郷の候補地である。この場所はちょうど尾根筋にある、彼等古代人は北斗七星を信仰の対象としていたという。ここで拝んでいたろうか。
古代から近代へ、途中がどうであったかは分からない。古代の道は、一名矢倉沢往還とも言った。足柄道、足柄路とも言われる。一人の防人が万葉集にこう詠んでいる。
足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 清見もかも (巻20-4423)
御坂に立って袖を振れば、恋しいあなたは、私がはっきりと見えるだろうか。
詠んだのは埼玉郡の防人だ、三軒茶屋を通ったのか分からない。が、多くの防人が通っていったのは間違いないだろう。
続きを読む
rail777 at 18:30|Permalink│Comments(0)│



















