世田谷中原駅
2020年11月07日
下北沢X物語(4120)―山手空襲考:若林麟介証言掘

(一)予科練帰りの人から聞いた。「戦後、民主主義って聞いたとき何のことかさっぱり分かりませんでした。その意味は衝撃でした。言い分を言えるということに驚きました。私らのところでは古参兵は絶対でしたから、理由もなく殴られる、蹴られるのは普通でした。見せしめ懲罰は恐ろしかったです、選ばれた者は悲惨でした。木刀で力一杯叩かれるのです。気絶するとオスタップに入れた水をぶっかけて起こし、また叩くのです。もう半殺しです、『なぜ私を標的にするのか?』など聞こうものなら殺されていましたよ。相手に対してなぜそうするのかを聞けるというのは大きなショックでしたよ。今の言葉でいえば説明責任ですね、疑問を問いただして、正しい方向に持って行く、戦後における民主主義というのは腰が抜けるくらいに驚きましたよ……」と。今この民主主義は危機に瀕している……
若林麟介さんの証言の続きだ。山手空襲に遭った彼は自宅のある代田へ姉を自転車に乗せて青山通りまで来た。
至る所に市電の架線が垂れ下がっており、それでもレールは続いていたが、勿論一両の電車も見当たらなかった。焼けた都電の車両ばかりの青山車庫の前を通り過ぎ、宮益坂を下り、道玄坂を登って通3丁目かあ右にずれて、淡島方向に向かうバス路線を伝って行った。駒場地区の左側は所々に焼け残ったビルがある以外は、一軒も家は見当たらず、完全な焼け野原と化していた。
淡島交差点の手前を北沢八幡方面に向かって森の中をつっ走り、代沢小学校近辺まで来ると、幸い下北沢付近は戦災を免れているみたい。最後の坂を上り詰めて代田の丘に着いたら、付近は焼け残っており、嬉しくて嬉しくて急に元気が出た。幸い私の家は無事だった。
私たちが無事が否か心配していた両親のほっとした顔、真っ黒にすすけた私たちの2人の顔、冷たい井戸水で顔を洗い、着替えてから、この付近の昨晩の壮絶な凄まじい戦火の跡のお話を聞いた。
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2020年07月07日
下北沢X物語(4039)―帝国音楽学校の英才教育―

(一)世田谷代田に帝国音楽学校があった。講堂のある二階建ての立派な校舎は昭和20年5月の山手空襲で焼失した。このとき学校は廃校になっていた。が、中にあった楽器や書類などはすっかり燃えてしまった。消え去った学校の記録を残そうと地元の人から聞き込みをしてきた。が、めぼしい情報は得られなかった。ところがつい最近、貴重な記録が見つかった。帝国音楽学校講堂の舞台で撮られた一枚の集合写真だ、幸いなことに写っている人と連絡が取れた。コロナ感染を避けてテレ取材をした。御年91歳の渡辺陽子さんはとてもお元気だった。写真のことを中心に話を聞き取った。彼女とのやりとりを通して学校の教育の一端が垣間見えてきた。一枚の写真を通して学校の歴史を紐解いてみる。
〇写真が撮られた年月
彼女の名は渡辺陽子さんだ。昭和4年生まれの91歳である。生まれは満州大連である。お父さんが満鉄に勤めておられたことで満州にいた。昭和5年に引き揚げてきて世田谷代田2丁目に住んだ。(帝国音楽学校は代田6丁目にあった。ご自宅の至近距離にあった)
「この写真はいつ頃に撮られたものですか?」
「私が小学校3年の時だったと思うのです。だから昭和12年(11年かもしれないとも)だと思います。左に男の子を挟んで姉が写っています。もうその姉も亡くなりました」
二人とも美形である。可愛らしいお嬢さんだった。
「季節的なことは分かりますか?」
「私が着ているのはお茶の水の制服で、冬服ですから秋か冬ですね」
「お二人ともお茶の水ですか、あれ、確か代田2丁目は普通に行けば、代沢小学校ですよね」
「ええ、そうですけど、回りの子は公立に行かずに私立の成城とかに行っていました。まわりには軍人さんが多かったのですね、その息子さんともよく遊びました」
「お茶の水ですか、成績もよかったのでしょう」
「いえ、ガラガラポンでしたから」
「そうか、ガラガラポンですか」
国立学校の入学では抽選が行われた。自身もこの抽選の担当を仕事として行ったことがある。呼称はやはりガラガラポンだ、ハンドルで箱を「ガラガラ」と回すと当たり番号が「ポン」と出てきた。
『23番合格です!』
会場で「当たった!」という声が上がる、経験があるゆえに懐かしく思った。
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2019年11月23日
下北沢X物語(3889)―朝ドラと世田谷代田と文化地図―

(一)当ブログでは「朝ドラに世田谷代田も加えて」と提案していた。世田谷代田で生涯を終えた古関裕而・金子夫妻の物語が朝ドラ「エール」として来年度放映される。夫妻の故郷福島市と豊橋市がドラマ化に当たって署名活動を行って実現したものだ。夫妻のそれぞれが青春時代を送ったのが福島と豊橋である。が、いずれも上京し世田谷代田に住まった。その間約60年あまり、ここが終の棲家だった。人生の大半を過ごした地だ。ゆえに加えてと。代田との関わりは帝国音楽学校だ、金子さんがここに入学したことが機縁となった。時を経て古関裕而は昭和史に輝く大作曲家となった。この地では多くの名曲を作曲した。そのプロセスが朝ドラでどのように描かれるのか興味深い。今回「下北沢文士町文化地図」には「古関裕而と世田谷代田」としてコーナーを設け、関連の写真を載せた。古関家の協力を得てのことである。
朝ドラは、連続テレビ小説の通称だ、朝の短時間視聴者を楽しませる、娯楽番組である。ノンフィクションではなく、フィクションである。よって代田という土地の固有性はリアルには描かれないだろう。が、夫妻が住むことのきっかけとなった帝国音楽学校のことはこのドラマの中では必ず出てくるはずだ。
なお、「下北沢文士町文化地図」改訂7版には「世田谷代田の音楽学校〜「帝音」の歴史〜として芸術学博士 久保絵里麻さんが帝音の歴史、及び年表をここに載せておられる。
今回、「下北沢文士町文化地図」改訂8版を刊行した。ここには「古関裕而と世田谷代田」というコラムを設けた。三枚の写真と一編の詩とを掲載した。一枚は、代田の自宅で楽譜を推敲する場面だ、二枚目は1933年頃(昭和8)代田の自宅前で長女を抱いた夫妻の写真である、三枚目は1938年頃(昭和13)駅のホームで撮った写真である。世田谷代田駅であるが、当時は世田谷中原駅と言った。
この駅で撮られた写真はぜひ載せたかった。この駅は、1945年5月24、25日の空襲で焼失してしまった。この世田谷中原駅の写真はずっと探しているが出てこない。それゆえに「世田谷中原駅」の駅名表示が出ているこれは貴重である。鳥居形の駅名表示版の前で撮られたもので「世田谷中原」の文字がはっきりと見える。
写真三葉と詩一編とを古関家に御願いして許可を得て掲載した。この詩もぜひとも載せたかったものだ。古関夫妻が代田に住み始めたころの様子が具体的に書かれているからだ。「春三月」と題されたこの詩には土地の固有性がはっきりと詠まれている。
・朝夕 美しい 富士の姿を窓から見て元気です。
世田谷代田から富士がよく見えた。
旧駅の跨線橋には富士見窓があって、富士の荘厳な佇まいがここからよく見えた。当地は富士の見える場所としては有名だ。
古関裕而夫妻が住んだ家の近くに斎藤茂吉が戦後に越してくる。やはり窓から見える富士のことを詠んでいる。
冴えかえるわれの住む代田の二階より
白糖のごとき富士山が見ゆ(歌集「つきかげ」)
古関裕而が住んだところは斎藤茂吉の家よりも一段高いところで一階からも富士が眺められた。世田谷代田に住んだのも富士がよく見えるところだからというのも一つの理由としてはあったろう。
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2017年07月31日
下北沢X物語(3330)―世田谷代田「帝音」を巡るプレ研究会―
(一) 「うちのお袋が帝国音楽学校にお化けが出ると言っていました。普段そんなことは言っていませんでしたから何かあったんだと思うな……」と帝音の側に住む米沢さんがいう。「帝音は空襲で焼けたんだけどまだその跡が残っていたんだね。内田百里離┘奪札い覇匹鵑正憶があるんだけど、焼けた小学校から夜になると音楽が聞こえるみたいなことを書いていたな。もしかしたら帝音の焼け跡から歌声とか楽器の音とか聞こえていたのかな?」と私。この話興味深い、帝音の地域における存在の意味を象徴していないか?29日土曜日、世田谷「邪宗門」に集まって8月5日に行われる研究会の打ち合わせをした。講師の久保絵里麻さんを交えての会だったが、やはり地元ネタだ。妙に盛り上がってプレ研究協議会のようになってしまった。
昭和2年(1927)12月、帝国音楽学校は世田谷中原駅の側に創設された。
「大根畑に建ったというのは本当ですか」と米澤さん。
「本当です、創設時の書類に書いてあるんですよ」と久保さん
「もう鉄塔もあったはずです」
鉄塔に二階建ての音楽学校、原風景としては大事だ。際だっていたはずだ。
亡くなられた代田の古老今津博さんが『昔の代田』に書き残している。昭和六年に彼は当地に引っ越してきた。
連れて行かれた世田谷代田中原駅(現世田谷代田)で下車して見た周りの景色には驚いた。駅前 そして道の両側にはぼちぼち商店があるものの、畠…竹藪…こんもりした林……。それより巨大な鉄塔が建ち、線路をまたいでいる高圧線。こんなものは山の中にあると思っていたのに。
僕はこんな田舎に住むの。
今津少年は世田谷中原駅で電車を降りたとたん、広がっている景色に驚嘆した。漫画の吹き出し風台詞では、「がびびびびびびびび〜ん」という気分だったろう。超田舎だった。
すでに帝国音楽学校もあるはずだが、どう目に映ったのだろうか。しかし、真っ先に目に入ったのはおとろしく「巨大な鉄塔」だった。この風景は大事だ。とてつもなく高く大きい鉄塔だった。
「やっぱりね、鉄塔風景は大事なんですよ。この鉄塔はうちの方の目黒まで続いているんですよ。代田とは高さがまるで違うのですよ。いびつに見えるのですよ」
当地では鉄塔のある風景というのは際だっていた。
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