中原中也

2021年08月22日

下北沢X物語(4311)―鉄道文学的リニア批判序説・上―

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(一)芥川竜之介の遺作に『機関車を見ながら』というエッセイがある、ここに「我々は子供と大人とを問はず、我々の自由に突進したい欲望を持ち、その欲望を持つ所におのづから自由を失つてゐる」と記している、人間の限りない欲望はひたむきに軌道を突進する機関車である。「この軌道は或は金銭であり、或は又名誉であり、最後に或は女人であらう」と言う。最後のは性欲である。なるほどと思う。ひたすらに速度を求めるとその先頭車両はいきりたった男根に近づいていく。リニアの先端はまさにこれだ。超高速を求めるこれは南アルプスという自然の処女地を尖った先端部が犯していく。まっしぐらに名古屋に向かうこれは脇見しない。鉄道文学の根幹は脇見である。「雨に濡れし夜汽車の窓に/映りたる/山間の町のともしびの色」(石川啄木『一握の砂』)は好例だ。リニアの窓辺は黒一色だ。「黒いものがちらちらしたと思ったら名古屋だ!」、超高速列車には溜がない、これが全くないリニアには文学は育ちようがない。人間の心がないということだ。

 中原中也の詩に『桑名の駅』がある。この第一連だ。

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
夜更の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只独り
ランプを持つて立つてゐた
「中原中也詩集」岩波文庫 一九八一


文学というものの真髄だ、出だしから面白い、韻が踏まれている。「桑名」と「暗」と「コロコロ」のKが微妙に響き合って笑いを醸し出す。韻が踏まれているだけではない。それとなく文学韻も踏まれている。『東海道中膝栗毛』である。

桑名の夜は暗かった、寂しげに蛙がコロコロ啼いているばかりだった。しかも長いホームには人影はなく、唯一駅長がカンテラを下げて手持ち無沙汰な様子で立っていた。
 この第一連は枕だ、中也は不思議さを感じる。第二連はその種明かしがされる。

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた
焼蛤貝の桑名とは
此処のことかと思つたから
駅長さんに訊ねたら
さうだと云つて笑つてた


汽車が駅に着いた、ホームには「くはな」とあった。もしかしてあの桑名か?ホームにいた駅長に
「駅長さん、ここが焼蛤で有名な桑名ですか?」
「ええ、そうですよ」
 駅長は笑う。中也も「そうかそうだったか」と笑う。まさかと思っていたがあの有名な「その手は桑名の焼蛤」の本場だったのだ。
 
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rail777 at 18:30|Permalink│Comments(0)│