富士見窓
2019年11月23日
下北沢X物語(3889)―朝ドラと世田谷代田と文化地図―

(一)当ブログでは「朝ドラに世田谷代田も加えて」と提案していた。世田谷代田で生涯を終えた古関裕而・金子夫妻の物語が朝ドラ「エール」として来年度放映される。夫妻の故郷福島市と豊橋市がドラマ化に当たって署名活動を行って実現したものだ。夫妻のそれぞれが青春時代を送ったのが福島と豊橋である。が、いずれも上京し世田谷代田に住まった。その間約60年あまり、ここが終の棲家だった。人生の大半を過ごした地だ。ゆえに加えてと。代田との関わりは帝国音楽学校だ、金子さんがここに入学したことが機縁となった。時を経て古関裕而は昭和史に輝く大作曲家となった。この地では多くの名曲を作曲した。そのプロセスが朝ドラでどのように描かれるのか興味深い。今回「下北沢文士町文化地図」には「古関裕而と世田谷代田」としてコーナーを設け、関連の写真を載せた。古関家の協力を得てのことである。
朝ドラは、連続テレビ小説の通称だ、朝の短時間視聴者を楽しませる、娯楽番組である。ノンフィクションではなく、フィクションである。よって代田という土地の固有性はリアルには描かれないだろう。が、夫妻が住むことのきっかけとなった帝国音楽学校のことはこのドラマの中では必ず出てくるはずだ。
なお、「下北沢文士町文化地図」改訂7版には「世田谷代田の音楽学校〜「帝音」の歴史〜として芸術学博士 久保絵里麻さんが帝音の歴史、及び年表をここに載せておられる。
今回、「下北沢文士町文化地図」改訂8版を刊行した。ここには「古関裕而と世田谷代田」というコラムを設けた。三枚の写真と一編の詩とを掲載した。一枚は、代田の自宅で楽譜を推敲する場面だ、二枚目は1933年頃(昭和8)代田の自宅前で長女を抱いた夫妻の写真である、三枚目は1938年頃(昭和13)駅のホームで撮った写真である。世田谷代田駅であるが、当時は世田谷中原駅と言った。
この駅で撮られた写真はぜひ載せたかった。この駅は、1945年5月24、25日の空襲で焼失してしまった。この世田谷中原駅の写真はずっと探しているが出てこない。それゆえに「世田谷中原駅」の駅名表示が出ているこれは貴重である。鳥居形の駅名表示版の前で撮られたもので「世田谷中原」の文字がはっきりと見える。
写真三葉と詩一編とを古関家に御願いして許可を得て掲載した。この詩もぜひとも載せたかったものだ。古関夫妻が代田に住み始めたころの様子が具体的に書かれているからだ。「春三月」と題されたこの詩には土地の固有性がはっきりと詠まれている。
・朝夕 美しい 富士の姿を窓から見て元気です。
世田谷代田から富士がよく見えた。
旧駅の跨線橋には富士見窓があって、富士の荘厳な佇まいがここからよく見えた。当地は富士の見える場所としては有名だ。
古関裕而夫妻が住んだ家の近くに斎藤茂吉が戦後に越してくる。やはり窓から見える富士のことを詠んでいる。
冴えかえるわれの住む代田の二階より
白糖のごとき富士山が見ゆ(歌集「つきかげ」)
古関裕而が住んだところは斎藤茂吉の家よりも一段高いところで一階からも富士が眺められた。世田谷代田に住んだのも富士がよく見えるところだからというのも一つの理由としてはあったろう。
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rail777 at 18:30|Permalink│Comments(2)│



















