核兵器禁止条約

2021年08月06日

下北沢X物語(4301)―非核宣言に希望と夢を―

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言葉は人に意味を伝えるものだ、が、「原爆」はほとんど意味が伝えられない代物だ、あの惨劇、あの惨状というのはよく言うがその実情を言い表すものではない。原爆は言葉をどう尽くそうとも伝えられない。爆心地で起こったことは記録できない。ピカッと光った瞬間にすべて溶けて蒸発して何も残らない。骨のひとかけらでもあれば一人の人間の存在が想像できる。が、原爆は人の生の痕跡を一気に消滅させる。人間が理解できるものはまだ兵器になり得るが、一切合切を無にしてしまう原爆は兵器ではない、人類惨殺死滅機械だ。生の痕跡すら消え失せてしまう。原爆の悲惨さを伝えるために原爆資料館がある、「ひどい」、「ショック」だと言うが原爆の核心となった爆心地は展示しようにもできない、熱線で消滅したからだ、残っているのは言えば周辺のもの、これを見て原爆を理解してはいけない、爆心地の無を想像してこそ原爆の無慈悲さがわかる。

七十六回目の原爆忌に
きむらけん

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「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
碑に刻んだ言葉は
原爆犠牲者への生者の切なる誓い
眠ってくださいと言ったのは誰か?
過ちはくり返しませぬと誓ったのは誰か

それは私達ではないだろうか?
昭和20年7月サイパン陥落以降
戦いの敗色は見えていた
が、軍部は戦いを止めようともしないで
国民を煽った
一億総特攻、火の玉となって戦え と
無惨やな 全国諸都市は敵機爆撃機で
街は黒焦げ町は赤焦げて廃墟へ

高射砲は空しく虚空をつんざくのみ
焼夷弾のフヒューという音が
日々不気味に響いて
赤子さえも泣き止んだ

3月10日東京大空襲
首都の東半分は燃え尽きた
焼夷弾2000トン
隅田川に黒焦げの尻尻尻
そは死人の流れ行く川
5月24・25日東京山の手空襲
焼夷弾6、900トン
前回空襲を遙かに上回る
意図は首都東京の壊滅

作戦は功を奏し
「Tokyo removed from the list of attacks」
首都は壊滅した
が、若者の命を兵器として使う
特攻はやめることはなかった
ねらいは一撃講和
敵に衝撃を与えて敗戦を有利に
山手空襲の最中
義烈空挺隊120名が
決死隊として沖縄に特攻突撃
ああ、彼らの命よ

6月23日沖縄の守備軍全滅
サイパンも危うく
6月30日に閣議決定
都会学童の地方疎開
来るところまで来た
敗色歴然
とはいうものの
まな板に乗ったのは国体護持
国民の命よりも天皇制の維持
負け国家の品格体裁
どう敗退するかの空論議
いたずらに時間は過ぎゆく

刻々とピカドン迫る
8月6日に広島にピカ
8月9日には長崎にドン
やむなくポツダム宣言
これを受け入れての終戦宣言

いつも思うのは
広島原爆・長崎原爆は
メンツ国家のなれの果て
二十数万人は死ななくてよかったのだ

2021年1月20日に
核兵器禁止条約発効
署名国86か国
被爆国の日本は加入せず
理由は簡単
核の傘に守られているから
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
死者との約束は核を許容することではなかった

「世界で唯一の核被爆国の我々は
絶対に核は許さない
よって永久に核を放棄することを
全世界に誓う」
これこそは無類の防御盾


非核に希望や夢を持ち
これからを生きる子どもたちに
生きて行く勇気を与えたい

(写真は、目黒区常円寺の被爆地蔵)



rail777 at 08:16|Permalink│Comments(0)│

2020年11月08日

下北沢X物語(4121)―山手空襲考:若林麟介証言了―

2月4日 026
(一)「国土が戦場とされ、完膚なきまで徹底的に叩かれた我々日本人は、無条件降伏することによってその代償は大きかったが、今まで気が付かなかった全体主義から脱皮し、言論の自由、自由民主主義を勝ち得ることができた」と若林麟介さんは言う。大激変だ、疎開から帰ってきて学校が始まる、「神風が吹いて日本は勝つ」と軍国主義をたたき込んできた先生、元海軍だった彼はアメリカ兵風のシャツを着て黒板に書いた。「Start Dash!」と書いて発音した、生徒の一人「その変身ぶりにはあきれました」と、変わり身の早さである。自由・民主主義を本当に我々は得たのか、民主主義は長いものに巻かれることではない。絶えざる点検が必要だ。時の総理が「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」、学術会議の名簿に推薦された者をこれによって除外したと。わけの分からない言葉を使って国民を欺きはじめると危ない、どこかで戦争狂乱の神が微笑んでいるかもしれない。民主主義とはまっとうな想像をすることである……

(二)
 証言の続き、最終回だ。彼はこういう。

 逃れることが全く不可能な大都市の原爆被害はまさに犯罪である。人類に許されることではない。その究極の兵器が防衛のためとは云え使用禁止に踏み切れない地球人類の情けなさを嘆く。
 つい先頃、10月24日だ。新聞報道はこう伝える。

核兵器の開発や製造、保有、使用を全面的に禁じる核兵器禁止条約の批准国・地域が24日、条約が発効する条件となっている50に達した。90日後の来年1月22日に条約が発効する。「核なき世界」の実現を求める国際的な声に後押しされ、核兵器を非人道的で違法だとみなす初めての国際条約が動き出す。

しかし、唯一の核被爆国、凄惨、無惨な原爆を体験したこの日本は条約に背をむけている。理由は簡単だ、「アメリカの核の傘に入っていて、これに守られている」からだ。核の存在を許容しているといってよい。
 峠三吉は歌った、


八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え


 忘れてはならないことだ。核は人が、人類が持ってはならないものだ。今一つ、核のボタンを押せば人類は破滅する。

 核を一切持たないという平和宣言をしてこれによって自分たちを守る、「永世核放棄国」としての名誉を得たならばいかな国であろうとも核を使ってはこないだろう。全世界の言論を防御の盾とするのである。
 やはり日本は、率先して「核兵器禁止条約」を批准すべきだ。

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rail777 at 18:30|Permalink│Comments(2)│

2017年08月06日

下北沢X物語(3334)―核は人類殺戮器悪魔の兵器を許すまじ―

CCI20170711 (2)(一)「あのときは、ピシュッと青白い光が走ってドグゥワンという音がしたのです。私はブレカーが落ちたのかと思いました。しかし電車の中は真っ暗で何も見えません……。

 八月六日、朝、広島電鉄家政女学校の藤井照子は電車を運転して広島駅前に着いたときだった。
「手探りで前を進もうとしたところ、瞬間からだがふわっと浮いたと思ったら、ストンと落ちたのですよ。気づくと電車のモーターカバーが爆風で飛ばされていたんですよ。左足は蓋に引っ掛かり、右足はモーターかかり、そして床にどさっと落ちたのです。『おかあさん』と叫びました。それでもようやっと穴から這い上がって、後ろの車掌さんのところにいき、ドアのカギを上に持ち上げて、外にでました」

「もう辺りの風景は一変していましたね。何もかもが爆風で吹き飛ばされていてあっちでもこっちでも火の手があがっていました。そしたら男の人の声が飛んできて『伏せー』というじゃあありませんか。私は女の車掌さんと手をつないで、そこに伏せました。地面が熱いのですよ。そのときに初めて爆弾だということに気づいたのですよ。」

「しばらくして起き上がってみたんですけど家とか電車とか、なにもかもがなぎ倒されたりしていて、今まで聞いていた爆弾とは違うように思ったのです。」

「ところがそのとき、鉢巻きがないのに気づき車内に引っ返したところそれがみつかったのですよ」
 鉢巻きは皇国少女の命、これを締めて彼女らは懸命に電車を運転していた。自分を支えるものであった。
 彼女にとって広島駅前での被爆経験は忘れがたいことだった。火を噴いている家から子どもの姿が見える、が、どうにも助けようがなかった。何とも手の下しようがなかったことをずっと負い目として生き続けてきた。

 原爆投下で、広島電鉄家政女学校の生徒は三十名ほどが犠牲になった。藤井さんも右手にやけどを負った。が、命はとりとめた。結婚して子どももうけた。
 彼女の若いときの写真を見ると本当に美人だった。が、被爆したことが一生ついてまわってがんとのたかかいだった。美しかった顔は、被爆による影響から皺が増えていった。
彼女は、二十四年、八月十八日、八十六歳の生涯を終えた。被爆語り部だった。

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rail777 at 20:00|Permalink│Comments(0)│