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2017年09月08日
下北沢X物語(3356)―鉾田陸軍飛行学校原ノ町分教場へ―
(一)世田谷代沢小、東大原小は浅間温泉に疎開した。昭和二十年二月、学童らは思いがけない出会いをする。それは突然に当地にやってきた飛行機乗りである、子どもらにその正体は分からない。が、彼らは、「と号第三十二飛行隊(武剋隊)」と「と号第三十一飛行隊(武揚隊)」の隊員だった。前者の隊長は、広森達郎中尉、後者は山本薫中尉だ。発足から特攻突撃するまでこの隊の歴史を追ってきた。この頃分かってきたことは、武剋隊、武揚隊が発足する前に、両隊長の運命は決まっていたと知った。二人は陸士五十六期生である。卒業しての進振で軽爆に配属された。これによって搭乗する機種も決定した。事実、二人が陸軍松本飛行場にやってきたとき飛行機は、軽爆、九九式襲撃機であった。この機に乗るべく訓練を受けていたのが「鉾田陸軍飛行学校原ノ町分教場」である。この因縁の飛行場は前々から訪ねたいと思っていた。原ノ町へ来たのは二度目だ。常磐線原ノ町、思い出深い駅だ、三十数年前、ここの駅前旅館に泊まったことがある。汽車に乗るためだ、この駅から青森行きの普通列車が出ていた。時刻表を紐解くと「233レ」だった。原ノ町を朝六時に出て終着の青森には夕方の五時に着いた。まる一日中汽車に乗って外を眺めていた。夏なのに寒かったのを覚えている。この一帯浜通り北部は冷害の元凶、「やませ」によく襲われる。太平洋側で春から夏に吹く冷たく湿った東よりの風のことだ。とくには稲作では大きな影響を受ける。地理的に厳しい環境のところだった。当地に飛行場ができたのは地元が率先して誘致に動いたことが大きいようだ。国策施設を置くことで地域の活性化を願った、背景には稲作だけで食べていくことの困難さがあったからだろう。後年浜通りでは原発を誘致するが要因としては同じものがあったと考えられる。

常磐線は、今は寸断されている。原発過酷事故による影響だ。竜田駅と浪江駅の間の帰還困難区域はJRの代行バスが運行されている。しかし、本数が少なく常磐線経由は難しいことが分かった。東京から行く場合、新幹線で福島まで行き、ここから原ノ町行きのバスに乗る方がてっとリ早い。
そのバスに乗って原ノ町に着いた。ここからはタクシーに乗って旧軍飛行場へ行くつもりだ。が、その前にするべきことがある。地方に行って取材をする場合、私は必ず図書館に行く。そして地域資料コーナーのぞくことにしている。その地域でしか見られない資料が必ずあるからだ。幸いにして駅前に南相馬市立中央図書館がある、書棚に見つけたのは「原町戦没航空兵の記録」(白帝社)だ。見ていくと広森隊長の日記があった。
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rail777 at 20:00|Permalink│Comments(0)│



















